なぜ日本の「町の食堂」は消えたか
まず、関東の場合はソバ屋というのがあり、別に手打ち麺とか凝ったことはしない一方で、出汁と「かえし」はちゃんと手間暇かけてプロの味にする、メニューはソバとウドンが選べて、それこそかけソバから天ぷらそばまで色々なチョイスがある、加えて天丼、親子にカツ丼といった丼物、異色なところではカレーライスやカレー丼に、妙に魚系の出汁の利いた「ソバ屋のラーメン」も出す、そんな感じの店です。
大体が、「ナントカ庵」とかいう名前で、恐らくは若い時は大きな店で修行して、金を貯めて独立したという感じの風情でしたし、ですからチェーン化というのはありませんでした。関西のうどん屋さんというのも同じように個人店が多かったと思います。
また、一膳めし屋というのもありました。とにかくデカイ炊飯器で大量の白米が炊いてあり、オカズは多くの場合は皿に盛り付けた「作り置き」。それを1つか2つ選んで、飯の大きさを注文して盛ってもらうというスタイルです。電子レンジとかでチンするという発想はなく、冷えたオカズで熱々のご飯を食べるというのですが、よく考えるとあのオカズは冷めても旨いということは、やはり、ちゃんとした味付けがしてあったのだと思います。
そう言えば、町の洋食屋さんというのもありました。必ず楕円形のステンレス皿に、エビフライとかハンバーグ、それに千切りキャベツが添えられて…みたいな店です。この種の業態も、チェーンに押されて淘汰された感じです。
後は、町の中華屋さんというやつでしょうか。天津飯とかレバニラとかを看板メニューに、ラーメンとか餃子もという店です。この業態はそれこそ、全国的に数社のチェーンに完全にやられてしまっています。
変則なものでは屋台というのもありました。おでんにしても、ラーメンにしても屋台を「引く」という職業があって、深夜にお世話になりながら親父さんの話を聞くと、「10年が限界かな、冬場はキツイしね」という愚痴とともに、「でも、まあ頑張って屋台引けば、最後はアパート建てて家賃で左うちわも夢じゃないですよ」みたいな人生設計もあったようです。
この「屋台のラーメン」ですが、仮に売価(当時)400円で、原価率25%とすると粗利が一杯300円。一晩に100杯出せば3万円。年に300日で900万。キツイ商売かもしれませんが、悪い数字ではありません。
ですが、ソバ屋、中華屋、洋食屋、そして屋台と、家族営業で成立するような自営の食堂というビジネスが、どうも日本では成立しなくなっているのです。
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