現在、投資家の間で最も懸念されているのが、中東情勢の緊迫化に伴うエネルギー価格の高騰です。アメリカによるイラン攻撃、そしてそれに対するイランの執拗な報復のニュースは、世界経済に暗い影を落としています。特に「ホルムズ海峡」が封鎖され、タンカーの往来が途絶える事態になれば、原油価格が跳ね上がり、世界経済、ひいては株式市場に壊滅的な影響を与える可能性があります。
この状況は、1970年代に世界を震撼させた「オイルショック」の時代を強く彷彿とさせます。歴史はまったく同じようには繰り返しませんが、かつて起きたことを深く理解することで、これから私たちが直面するリスクを予測し、取るべき行動を明らかにすることができるはずです。(『 バリュー株投資家の見方|つばめ投資顧問 バリュー株投資家の見方|つばめ投資顧問 』栫井駿介)
プロフィール:栫井駿介(かこいしゅんすけ)
株式投資アドバイザー、証券アナリスト。1986年、鹿児島県生まれ。県立鶴丸高校、東京大学経済学部卒業。大手証券会社にて投資銀行業務に従事した後、2016年に独立しつばめ投資顧問設立。2011年、証券アナリスト第2次レベル試験合格。2015年、大前研一氏が主宰するBOND-BBTプログラムにてMBA取得。
第1次オイルショック(1973年)で何が起きたのか
かつて1973年に発生した第1次オイルショックを振り返ってみましょう。
発端は第4次中東戦争でした。
これに際してOPEC(石油輸出国機構)が西側諸国に対して石油の禁輸措置を行い、エネルギー供給を「武器」として使ったのです。
当時の世界は今以上に中東の原油に依存していたため、混乱は凄まじいものでした。
日本国内では「店頭からトイレットペーパーがなくなる」というデマからパニックが起き、社会が大きく揺れました。
具体的な数字で見ると、原油価格は1バレルあたり3ドルから12ドルへと、わずかな期間で約4倍にまで高騰しました。
その結果として「強乱物価」と呼ばれる凄まじいインフレが発生し、日本のインフレ率は23%、米国でも11%という、現代では考えられないような数値を記録したのです。
オイルショックが株式市場に刻んだ深い傷跡
この経済の混乱は、株式市場に容赦なく襲いかかりました。
日経平均株価は一時37%も下落し、米国のダウ平均に至っては45%という、ほぼ半値に近い暴落を経験しました。
この時期に世界を苦しめたのが「スタグフレーション」です。
通常、インフレは景気が良い時に起きますが、スタグフレーションは「不況なのに物価だけが上がる」という、投資家にとっても生活者にとっても最悪の状態を指します。
米国株の歴史において、この1970年代後半から1980年代前半は「株式の死」とも呼ばれるほど暗い時代でした。
1973年の暴落後、株価は1年ほどで一旦リバウンドしましたが、その後は1980年代初頭まで長らくボックス圏での推移となり、ほとんど右肩上がりの成長が見られない停滞期が続いたのです。
なぜ日本は米国を上回る成長を遂げたのか
しかし興味深いことに、この「株式の死」の時代において、日本株は米国株とは異なる「デカップリング(切り離し)」の動きを見せました。
日経平均のチャートを長期で見ると、オイルショックで一時的に下がったものの、全体としては右肩上がりを維持していたのです。
なぜ日本だけが成長できたのでしょうか。
それは、日本がこの危機を機にドラスティックな「経済の構造改革」を行ったからです。
それまでの日本は、石油を大量に消費する「重厚長大産業(造船、石油化学など)」が経済を支えていました。
しかし、原油が高騰したことでこれらの産業が立ち行かなくなることを察知し、石油を使わない、あるいは効率的に使う産業へとシフトしたのです。
具体的には、半導体産業への注力や、トヨタに代表される「低燃費で高品質な自動車」の開発です。
この省エネ技術による産業構造の改善こそが、米国が停滞する中で日本株が独歩高を演じた背景にありました。
