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“自粛警察”な人ほど貧乏になる。「会食叩き」が示す思考停止とは?=午堂登紀雄

不要不急かどうかは自分が決めること

それに、行政や医療関係者、あるいは高齢者や基礎疾患保有者にとってはコロナは重要かもしれませんが、個人の人生における重要事項はコロナだけではありません。いやむしろ「コロナはまったく重要ではない」と言い切るぐらいでちょうどよいとさえ感じます。

コロナ対策が生活の最上位だと考えてしまうと、そのほかのことに目が向かわず、チャンスすら「コロナが怖いから」と逃してしまうことになりかねない。

そしてコロナ教に染まった人たちは、会食をしたりする人を糾弾し、「マスクは鼻まで覆え」などと、経典の普及に余念がありません。

こういう人は、「自分にとっての不要不急は他人も不要不急であるはずだ」「自分の正義を周囲が実現すべきだ」「ルールを守ることが正義だ」「政府・行政の言うことには従わなければならない」という強固な固定観念に支配されています。

彼らは他人の不謹慎・不道徳(に見える)言動がガマンできません。自分が気に入らないものはスルーできない。それが本人の考えの押し付けかもしれないと疑問を持つこともなく、むしろ正しい行為だと信じています。

自分の価値観で「他人を攻撃する」人々

そしてこれが気持ち悪いと私が感じるのは、現実社会で承認欲求を満たされていない人ほど他人を攻撃・非難・批判する傾向があり、本人はそれが時間の無駄だとかそんなことをやっても一円にもならないことに疑問すら抱かない点です。

承認欲求が適度に満たされている人は、他人の言動には比較的寛容で(というかほとんど気にしない)、いちいち目くじらを立てることはありません。

他人を批判・非難することで得られるものは何もないからです。他人に強要することは、自分の価値観の押し付けという身勝手な行為だと、本能的に理解しているからです。

一方、満たされない不平不満は、他人を貶めることで溜飲を下げられる効果があります。サラリーマンが居酒屋で上司や会社の愚痴を言うのも、そうやって吐き出しストレスを発散させるでしょう。

つまり、そうしたくなる(せざるを得ない)本人の状況がある。彼らにとって他人を批判することは、満たされない承認欲求を慰められるという「リターンがある」からやっているのです。彼らにとっては時間の無駄などではなく、必要な時間であり必要な行為。

もちろん本名で面と向かって言う度胸はありませんから、ネットで匿名で他人に難癖をつけるのは、溜飲を下げ自尊心を維持する格好の方法です。

なのでたとえばヤフーニュースの経済・芸能・生活関連のニュースの下部に出ているコメント欄を見てみると、いったいどういう生き方をすればそういう残念な発想が出てくるのか不思議なくらい、「へ?食いつくのはそこ?」「もうちょっと建設的な考えは浮かばないの?」という感じのコメントが炸裂しています。

一方、たとえば外交絡みなどのニュースのコメントには「なるほど、そういう視点はなかった」「そういう出来事や事情があったのか」と気づくこともあるので、全部が残念というわけではありませんので念のため。

そんな書き込みをするヒマがあるなら、現実世界が満たされるように努力すればいいのにと思いますが、そういう方向へは思考が向かわないのでしょう。

私もツイッターで難癖メッセージが来たとき、時間がないときは無視しますが、ヒマなときは一緒に遊びます(一日中集中も仕事もできないですしね)。といっても本気で相手するほどの価値はないのでおちょくるだけですが…。

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