どんなプラットフォームにも終わりはある
SNSというプラットフォームは今後も生き残るだろう。それは、SNSの前に流行していた大規模掲示板が生き残っているのを見ても分かる。ただ、今までのように人々に諸手を挙げて歓迎されるようなものではない。
むしろ「他に良いものはないか?」と見捨てられる立場になってきているものである。そもそも、FacebookもTwitterも15年以上も前に作られた古くさいコンセプトでもある。
もうSNSという分野にはイノベーションもないし、人々は暴言・批判・対立・衝突が飛び交うこの荒廃した世界にうんざりしている。創業者も逃げているし、そろそろ先がなくなってきている。
SNSは終わりつつある世界であるというのが分かる。まだまだSNS全盛の時代なので、これを認められる人はいないかもしれない。しかし、どんなプラットフォームにも終わりはある。
SNSがそういうポジションに入ったからといって驚く方が間違っている。
たとえば、20年前はまだ紙の書籍の時代が終わるという印象はなかったが、「もう紙の書籍の時代は終わり」と言っている人がいて馬鹿にされていた。
15年前はまだ新聞の時代が終わるという印象はなかったが、この当時からインターネットの最先端にいた識者たちは「新聞の時代は終わった」と言って嘲笑されていた。
しかし、今はもう「紙の書籍の時代が終わる」と聞いたり「新聞の時代は終わった」と聞いても笑う人はいない。実際、出版社や新聞社のビジネスは売上が落ちて首が絞まりつつあるわけで、それはデータとして出てきているのである。
時代は変わると、見えないものがはっきりしてくる。SNSの時代の終わりというのは、今はまだ「よく見えない」かもしれないが、いよいよ「終わりの始まり」に入ったのが感覚として捉えられる人も出てきているように思える。