官僚にとって学生とは「自分たちに貢がせる道具」
今の大学は別に子どもたちの学力を向上させて良き日本を創ろうとか、日本の将来のために国を担う人材を育てようというような崇高な社会的意義に燃えているわけではない。
ただ単に、大学の経営維持のために授業料を払ってくれる人が必要だから、金を出してくれる人間なら誰でもいいから取り込んだ。
しかし、外国人留学生を取り込むのも質の低い学生を取り込むのも限度がある。そのために「学費の値上げ」も避けられない。頭数が減ったので学生ひとりに過大な学費を背負わせるのだ。
その結果として大きな社会問題になっているのが貸与奨学金問題である。生き残りをかけた大学が学生に高額の学費を押しつけて、今度は学生が地獄を見るようになっているのだ。
「学生が減るなら大学を無理に生き残らせるよりもむしろ減らせばいい」と誰でも思う。それが資本主義の自然淘汰でもある。日本は少子高齢化を放置してきて、大学側も日本政府に何の働きもしなかったのだから、学生が減った分だけ大学も減らすのは当たり前の話でもある。
しかし、日本はそうならない。文部科学省の官僚たちが自分たちの天下りルートを作るために後先考えないで大学を新設してきたからだ。官僚にとって学生とは「自分たちに貢がせる道具」でしかない。
大学の生き残りのために莫大な借金を負う学生
今でも大学経営はうまくいっていないというのに、これから着実に人口が減るわけで、大学経営が傾くのは目に見えている。地方の大学の破綻が、これから早い段階で表面化することになるというのは、このような事情があるからだ。
もちろん大学が破綻すると言っても、すべての大学が窮地に落ちるわけではない。都市部の知名度のある大学は生き残る。危ないのは地方の無名私立大学である。若者が減っていくうえに、減った若者の多くが都市部に出ていくので、地方私立大学は何をどうしても人員を揃えることができなくなってしまう。
もともと地方私立大学は財政的に脆弱なところが多いので、人員割れはすぐに経営危機に直面する。こうしたことから最近は私立大学が公立へ鞍替えする例も増えている。たとえば、鳥取環境大学、長岡造形大学、静岡文化芸術大学などはそうした道を選んだ。
自治体や国に財政負担させて生き残りをかけているのだが、それでも18歳人口の絶対数が減少するのだから、小手先の動きだ。自治体が財政破綻すれば一緒に崩れ落ちる。
知的能力が足りない人間でも、あるいは外国人留学生でも、誰でもいいから必死で人集めをして経営破綻しないようにもがいている大学だが、そのツケは学生が払う。たとえば、大学中退率も増えているのも、そうした問題のひとつでもある。
文部科学省の2012年度の大規模調査では大学、短大、高等専門学校の中途退学者数は7万9311人だった。「誰でもいい」と人数集めに狂奔した結果、結局は14.5%が勉強についていけなくなって学業不振に陥って中退している。
さらに20.4%が学費を支払うことができなくなって中退することになってしまっている。奨学金と言っても、返さなくてもいい給付奨学金ばかりではない。最近の奨学金は「卒業した後に働いて返せ」という貸与奨学金である。
貸与奨学金は、普通は奨学金と言わないで「学生ローン」と正確に呼ぶか、もしくは「借金」と分かりやすく言うべきだが、それでは世間体が悪いので「奨学金」と言うことになっているようだ。