株価本位制が円安と日本の衰退に
今回の内田日銀副総裁の発言は、奇しくも日本の政策が株価本位制で動いていることを示唆しました。物価の番人である日銀は、すでに物価目標の2%を2年以上実績が上回る状況に対しても、これを抑制する姿勢を見せませんでした。
これは日銀の歴史の中でも異例のことです。日銀はアベノミクス以来、政策の視点が大きく変わってしまいました。過去の2つの事例と比べてみれば、今日の異常さがよくわかります。
まずは、以前にも紹介した石油ショック時の日本の対応です。石油ショックは世界の主要国に対して「輸入インフレ」をもたらし、同時に所得が産油国に流出するので、景気悪化とインフレが同時進行する「スタグフレーション」に陥りました。これに対して多くの国が物価より景気を重視したのに対し、日本とドイツは景気を犠牲にしてでも物価抑制を優先しました。
もう1つ、2000年代前半に、ITバブル崩壊、世界的テロ不安の中で世界経済が悪化するなかで、日本では「デフレ」が問われました。消費者物価は小幅ながらマイナスとなる時期が多くなり、日銀はゼロ金利政策に続いて量的緩和の「非伝統的な緩和策」もとりました。
それでも2006年になってマイナス物価の解消が見込まれるようになり、2006年3月にまず量的緩和を取りやめ、2006年4月以降はCPIの前年比が「マイナスでなくなった」状況を確認して6月にはゼロ金利も終了し、政策金利を0.25%に引き上げました。当時の日銀は、量的緩和もゼロ金利も「特別な対応」と考え、マイナスの物価上昇が回避されると直ちにこの異常な策を修正しました。
これに対して、今日の日銀(アベノミクス以降の日銀)は、物価目標自体を2%という、日本では異例の高い目標に設定し、目標到達を困難にし、その分長期間金融緩和を続ける体制をとりました。そのうえ、2022年になると2%到達はほぼ確実になり、実際春には物価上昇率が目標の2%を超えたのですが、日銀は「予想」を低くし、現実の物価が2%を超えても、確実に持続するまでといって異次元緩和を続けました。
このため実質金利が大幅なマイナスになり、日本の預金者や投資家は日本から逃げ出し、金利の高い外貨資産に資金シフトし、円安が進みました。企業は異常に低い金融コストと円安で利益が上がりやすくなり、技術革新をさぼり、日本経済の長期低迷、衰退が進みました。
日銀はアベノミクスの幻影から距離を置くべし
今日の日銀は、財界と市場を味方につけて長期政権を実現した安倍政権と、そのアベノミクスの幻影に未だにとらわれています。
もはや安倍元総理も安倍派もないのですが、その影におびえて金融緩和、円安維持にこだわっています。しかし、それによる必要以上の物価高が国民生活を圧迫し、政府日銀への批判が強まっていることに、植田日銀もようやく気が付きました。






