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マクアケ中山社長が示すのは「挑戦者の事業成長パートナー」の覚悟 新商品に伴走し、日本のものづくりを支える

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2025年12月18日に実施された、「新morichの部屋 vol.29 株式会社マクアケ 代表取締役社長 中山亮太郎様」の内容を書き起こしでお伝えします。

~新morichの部屋 vol.29 株式会社マクアケ 代表取締役社長 中山亮太郎様~

森本千賀子氏(以下、morich):株式会社morich代表取締役社長の森本です。今宵も始まりました! よろしくお願いします。

福谷学氏(以下、福谷):株式会社START UP STUDIO代表取締役の福谷です。「新morichの部屋」が始まりました。よろしくお願いします。

morich:実は心配事があったので、今日は無事ここに立ててよかったです。少しだけ時間をもらっていいですか?

福谷:どうしたのですか?

morich:ハワイのホノルルマラソン、完走してきました! これは自慢しないと終われないなと思って、じゃん! 完走メダルを「ルイ・ヴィトン」の袋に入れて持ってきました。

(会場拍手)

福谷:すごい! マラソンはどうでしたか? 練習はしたのでしょうか。

morich:大変でした。そもそも42.195キロメートルを歩いたこともなかったのですよ。「皇居ラン」しか走ったことがないので、私の最高記録は皇居1周分の5キロメートルです(笑)。

「根性でなんとかなるだろう」と、本当にナメていました。走ったり歩いたりはできたのですが、現地ハワイの方も「こんなに降ることはめったにない」と言うくらい雨がすごかったのです。インフラが未発達なところがあって、そこの道路は水たまりというレベルではなく「池」になっていました。

福谷:えぇ!

morich:その「池」を、ジャバジャバと音を立てて走りました。スニーカーが濡れた時の気持ち悪さ、わかりますか? あの状態がずっと続きました。

福谷:お疲れさまでした! すごいですね。

morich:何を言いたいのかというと、翌日の体調がすごくよかったのですよ!

福谷:アドレナリンが出ていたからでしょうか?

morich:たぶん、細胞年齢が38歳だからでしょうか(笑)。……このように話しているとすぐに1時間が経ってしまうので、このあたりでやめておきます。

福谷:もう12月になって、2025年もそろそろ終わりですね。あっという間でした。

morich:早かったですね。今年も「新morichの部屋」は毎月、計12回開催してきました。

福谷:29回目を迎える今日も、素敵な社長をお招きしています。

morich:すごくお会いしたかった方です! 我が家の掃除機も、「ルンバ」に替わるものを「Makuake」で購入しました。

福谷:ご紹介する前に言ってしまいましたね(笑)。では、あらためてご紹介をお願いします。

中山社長の自己紹介

morich:本日のゲストは株式会社マクアケの代表取締役社長、中山亮太郎さまです。よろしくお願いします!

中山亮太郎(以下、中山):よろしくお願いします。すごい空間ですね。

morich:そうなのですよ。後ろの席にもゲストがたくさんいらっしゃいます。中山さん、お会いしたかったです!

中山:ありがとうございます。こちらこそ、お会いしたかったです。

福谷:満席ですよ。

morich:大人気です! それでは簡単に自己紹介をお願いします。このあと深掘りしていきますので、軽く触れていただく程度で構いません。

中山:株式会社マクアケで代表取締役社長を務める中山と申します。当社のサービスは、新商品が企画段階からデビューし、羽ばたくまでをトータルサポートするものです。

おそらく一番有名なのは、会社名と同じ「Makuake」というWebサイトです。先ほどのお話で掃除機を買っていただいたということで、ありがとうございます。

morich:我が家の家電は、けっこう「Makuake」で購入しています。「応援したい」という気持ちもありますが、サイトを見ていると魅力的なものがたくさんあって、ついつい2つか3つは買ってしまいます。

私は毎回、ゲストの方の情報を1週間シャワーのように浴びます。「morichシャワー」と呼んでいます(笑)。いろいろなところから調べ尽くすのですが、中山さんの幼少期の情報はあまり見つかりませんでした。触れても差し支えないでしょうか?

中山:別に隠しているわけでもなんでもないです(笑)。

morich:よかったです。唯一わかったのは、埼玉県八潮市ご出身ということでした。ただし、お生まれは違うらしいという情報もありました。

中山:生まれたのは東京都の足立区青井で、6歳くらいで八潮市に引っ越しました。

英語劇もできるキャプテン肌のサッカー少年

morich:幼少期はどのような少年でしたか? 優等生タイプに見えます。

中山:『秘密戦隊ゴレンジャー』のような戦隊ヒーローごっこでは、必ず「レッドがいい」と言っていました。レッドじゃないと泣く子供でした。

morich:やはりレッド系、ビジョナリー系ですよね! 少なくとも黄色ではないと思いました(笑)。私もピンクでないと泣く子供でした。

中山:幼少期はサッカーをしていたのですが、幼稚園の卒園アルバムには「プロのサッカー選手になりたい」ではなく「サッカーのキャプテンになりたい」と書いていました。たぶん『キャプテン翼』の影響だったと思います。

morich:本当ですか(笑)。現実的ですね。幼稚園からというと、サッカーは3歳、4歳くらいからしていたのですか?

中山:4歳、5歳くらいからでした。それと、サッカーをしながら……。あまり言ったことがないのですが、英語で劇をするという謎なことをやっていました。

morich:そのようなエピソード、大好物です! いつ頃でしょうか?

中山:聞かれないので答えたことがなかったのですが、5歳くらいから17歳くらいまで「ラボ国際交流センター」という団体に所属していました。

カリキュラムは英語で劇をする、英語で歌って踊る、会員が日本中から集まってキャンプに行く、というものです。「国際交流」「表現」「英語」「ボーイスカウト」が混ざったような活動でした。

morich:そんなに長く!? この情報はみなさん知らないのではないでしょうか。おもしろそうな活動ですが、ご両親に勧められて始めたのでしょうか?

中山:はい、勧められていつの間にか入っていました。

morich:歌って踊っていたというのは衝撃です! ここで再現してほしいです(笑)。英語で劇をしていたのですよね? 演目はシェイクスピアなどでしょうか?

中山:英語です。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』はやりましたし、『ピーター・パン』もやりました。

morich:すごい! その頃の映像や写真は残っているのですか?

中山:絶対見せたくないです(笑)。

morich:見たい、見たい!

中山:そのおかげで、上手に話せているかどうかはわかりませんが、社員たちの前や株主総会など人前で話す時には活きているかもしれません。

morich:発声練習もありますし、めちゃくちゃ活きますよね。劇を経験すると恥ずかしさもなくなると聞きます。

中山:正直、恥ずかしいと感じることはないですね。

morich:やはりそうですよね。役は主人公を演じることが多かったのですか?

中山:いろいろな役をやりました。ナレーション、犬の役もありましたよ。

morich:私も雪女の役をやったことがあるのですよ。めちゃくちゃハマりました。役になりきると楽しいですよね。

中山:恥ずかしがっていると、より恥ずかしいですよね。ただし、思春期だった中学生の頃は恥ずかしく感じていたこともあります。

morich:中学生だと学校もあると思いますが、劇の練習は放課後にやっていたのですか?

中山:週に1回、放課後に公民館などで集まって練習していました。そのような場が日本中に2,000ヶ所、3,000ヶ所くらいある大きな団体だったのです。今でも仲が良い友人は、その時の仲間ですね。

morich:俳優の道は考えなかったのですか?

中山:友人の中には俳優もいます。クリエイターなど表現に関わる仕事に就いた方が多いですね。最近よくテレビにコメンテーターとして出演している、セイタロウデザインの山崎晴太郎も同級生です。「いつの間にかテレビに出る人になっているな」と思いました。

morich:それでは、一歩間違えたら中山さんもブラウン管の中に……。

中山:いえ、彼のような才能を見ていると、僕はどちらかというと裏でその表現を支える人間になりたいなと思います。それもあって、今の事業をやっているのかもしれないです。

morich:そうおっしゃいますが、非常にイケメンですよね。「月9」に出てきそうだと思いました。

中山:いえいえ、そんなことはないです。

福谷:morichさんの中ではどんなイメージになっているのですか(笑)。

morich:三浦友和の後継のようなイメージです(笑)。それでは、サッカーをやりつつ演劇や歌もやる学生時代だったということでしょうか?

中山:そのように小学校から高校までを過ごしていました。

リーダーシップの失敗体験とリベンジ

morich:学校では何が好きだったのですか? 勉強は得意だったのでしょうか。

中山:テストの点数はよかったですし、勉強はそれほど苦手ではなかったと思います。

morich:サッカーもされていましたし、「ガリ勉」ではなく天才系だったということでしょうか?

中山:いえ、そんなことはなかったです。……本当に性格が悪い人間だったと思います。

morich:えぇ!? そうなのですか? 今までの流れからすると、ご両親に愛情をもって育てられてスクスクと素直に育ったイメージを持ちました。嫌なやつだったのですか?

中山:まだその頃の話をしていないだけかもしれない(笑)。サッカーで、パスを出したところにチームメイトが走っていなかったらブチ切れる、ということもありました。

morich:本当ですか!? けっこう怒っていたということでしょうか。

福谷:プロサッカー選手を目指す上で、そのようなことも必要だったということですよね。

中山:プロになる夢は見ていました。とにかく負けず嫌いだったのです。

morich:ご友人たちからはどのように見えていたのでしょうか? 幼稚園の頃の夢は「サッカーのキャプテンになりたい」だったとうかがいましたが、学校では学級委員を務めるようなリーダータイプだったのですか?

中山:英語の団体でできた、よく会う友人からは「スベってる」などとバカにされることもあります。

学級委員にはなりましたが、リーダーシップでいうと、一般的なリーダー像とはぜんぜん違うリーダーでした。サッカーでは「プレーで引っ張る」「点を取ってみせる」というタイプで、チームをまとめることはしなかったです。

ただし、高校生の時、英語の団体でキャンプのリーダーを任される機会がありました。40人くらいが泊まるロッジで、3泊4日の間リーダーを務めたのです。

morich:キャンプにはいろいろな世代の子供たちが集まっていたのですか?

中山:小学生から高校生、大学生までが日本中から集まります。初めてリーダーになった時、めちゃくちゃ失敗したのですよ。ほかのロッジはすごく盛り上がっていたのに、僕のロッジはまったくおもしろくできなかった。これが本当に大きな挫折でした。

すごく悔しくて、そこで初めて「どうすればみんなに楽しんでもらえる場ができるのだろう」と、人のことを見るようになりました。

morich:場当たり的ではなくて、ということですよね。

中山:「『ゴールを多く決めたほうが勝利』とは違う価値があるんだ」と、そこで初めて気づきました。

福谷:すばらしい!

morich:今でも覚えているくらい、大きな出来事だったのですね。

中山:負けず嫌いですので、うまくできなかったことが本当に悔しかったのです。いい経験ができました。

morich:翌年、リベンジはしましたか? 人をまとめるためにどんな行動を取ったのか知りたいです。

中山:リベンジしました。具体的には「バディ」を務める人、ほかの参加者ともたくさん話しました。盛り上げるためのコールアンドレスポンスを考えたり、「どうすれば3泊4日が楽しくなるか」をちゃんと考えて工夫したことを覚えています。

morich:今のリーダーシップに通じるものがありますね。

中山:すごくいいカリキュラムでした。いい失敗体験ができて、そこで挫けなくてよかったなと思っています。

炎の男子校6年間 夢はサッカー選手から弁護士に

morich:小学校や中学校は地元の公立校ですか? 中学受験はされたのでしょうか。

中山:中学受験をして、中高一貫校の芝浦工業大学附属中学高校に進みました。当時は学校が東京都板橋区にあったので、埼玉県八潮市から通っていました。サッカーをし、遊び、英語劇もする学校生活でした。

福谷:すごく充実した高校生活ですね。ちなみに、どんな遊びをされたのでしょうか?

中山:学校から池袋が近かったので、よくカラオケに行っていました。

morich:今、カラオケ人気が復活しているのですよ。高校2年生の息子もめちゃくちゃ「一人カラオケ」に行きます。当時も流行っていましたよね?

中山:当時はGLAY、L’Arc-en-Ciel、スピッツなどCDが一番売れていた時代ですからね。

morich:BOØWYはちょっと古いでしょうか(笑)?

中山:あの頃はBOØWYではなく、ソロアーティストとしての布袋寅泰さん、氷室京介さんという認識でした。

morich:今はスカートを着た女子生徒を見ますが、当時の芝浦工業大学附属は男子校だったのですか? 

中山:当時は男子校でした。「炎の男子校・6年間」です(笑)。

morich:中山さんの装いでしたら、他校の女子生徒からラブレターをもらうような経験もあったのではないでしょうか?

中山:慶應義塾高校や法政大学中学高校などのモテる学校ではなかったので、ありませんでした。

morich:それでは、女性との接点はお母さんだけだったのですか(笑)? 男子校生でも出会いはあったのでしょうか。

中山:人並みな恋愛はしてきましたよ(笑)。当時『やまとなでしこ』というドラマが流行っていて、作中でたくさん合コンをします。それに憧れて、高校生ながらに合コンをしたりしていました。小学校の同級生に連絡したこともあります(笑)。

morich:『やまとなでしこ』好きです! 松嶋菜々子さんが出ていますよね。話題は変わりますが、ご両親との関係はどうでしたか?

中山:特に厳しい、優しいということもありませんが、仲はいいです。話題にもしづらいくらい「普通」の両親でした。

morich:高校生になって、サッカーのキャプテンから夢は変わりましたか?

中山:恥ずかしながら、ずっとプロのサッカー選手になりたいと思っていました。それを信じて、父親もめちゃくちゃ応援してくれたのです。部活にやたらついてくるお父さん、いるじゃないですか。まさにあんな父親でした。合宿先に差し入れを持ってきたこともあって、当時はちょっと痛々しいなと思っていました(笑)。

morich:いやいや、嬉しいじゃないですか! そのような経験って、子供はずっと覚えているみたいですよ。

福谷:私も、息子のキャンプについていっちゃいますね(笑)。

morich:最近のお父さんはけっこう子供のイベントに行くみたいですよ。ただし、約30年前の当時はレアだったかもしれない(笑)。

中山:そのお父さん像のはしりだったのだと思います。遠征のために出張を入れるくらい、変なお父さんでした。静岡県まで遠征に行ったら「なんでいるの?」となりました。

福谷:期待が大きかったのだと思います。

morich:よほど好きだったのでしょうね。それでは「サッカーで生きていきたい」と思うくらい上手なプレーヤーだったのですか?

中山:社会人になると「元〇〇ユース」というような方に出会うじゃないですか。そんな方々とは比べられないです。中学校の終わりくらいまではプロになる夢を持っていました。

morich:そうなると、高校生から先のキャリアで迷うこともあったのでしょうか?

中山:サッカーは、高校になってくると周りのレベルがどんどん上がっていきます。有名高校に行った選抜メンバーの友人などもすごくうまくなって、だんだんついていけなくなりました。それで、諦めてしまったのです。

morich:あぁ、わかります……。環境って大事ですもんね。

中山:でも、両親や周囲の人たちに「俺はプロになるんだ」「いつかセリエAに行くんだ」と夢見心地で言っていた手前、諦めるのが恥ずかしかったのです。それで言い訳を作らないといけないなと思って「俺は弁護士になる」と宣言しました。

morich:おぉ、いきなり!? 医者ではなく弁護士だったのですね。何をもって弁護士だったのでしょうか?

中山:「この夢なら誰も否定しないでしょ」と思って、いきなり宣言しました。なぜ弁護士かというと、手先が不器用で、口が達者だったからです。今の仕事でご一緒する弁護士の方を見ていると、当時は弁護士の仕事なんてぜんぜんわかっていませんでした。

(一同笑)

浪人時代と初めてのアルバイト

morich:それで慶應大学法学部に進学されたのですね。慶應の法学部ってめちゃくちゃ難しいですからね。第1志望だったのでしょうか?

中山:宣言してしまった手前、早稲田大学か慶應大学の法学部を考えていました。慶應の法学部は偏差値70台が必要な、文系で最も難しい学部です。そこで「現役は無理だろう」と思い、言い訳ですが戦略的に浪人計画を立てました。

morich:宣言はいつ頃のことだったのでしょうか? そこから受験モードに入ったというわけですよね。

中山:高校2年生くらいでサッカーもやめましたが、それ以降も遊んでいた気もします。

(一同笑)

morich:受験のスイッチが入ったのはいつですか? どれくらい勉強したのでしょうか。

中山:高校2年生の後半くらいからですが、「現役では間に合わないだろうな」と浪人を決めました。そこで、一度アルバイトしてみたいと思ったのですよ。原宿のカフェで始めました。

morich:初アルバイトですね。楽しそうじゃないですか!

中山:いえ、社会は厳しかったです。家の手伝いもしたことがなかったので、まったく使えなかったです。1ヶ月でクビになりました(笑)。

morich:えぇ! 本当ですか(笑)。

中山:「原宿は僕にはまだ早い」と思い、地元のゲームセンターでバイトを始めました。

morich:勉強とバイトの日々になったわけですね。勉強には、サッカーで培った集中力で取り組んだのでしょうか?

中山:1年目は「来年もあるから」と気楽に取り組んだのですが、浪人を始めてからは「後がない」と感じていました。そのわりにバイトばかりしていたので、これはまずいと思って10月くらいにバイトをやめました。

morich:浪人をスタートした時点の学力はどのようなものだったのですか?

中山:それがですね。2年計画ではあったのですが、現役の時の試験で「もう少しで受かるのではないか?」という手応えがあったのですよ。それでナメ腐って、バイトざんまいになってしまったという経緯です(笑)。

morich:中山さんは負けず嫌いでいらっしゃるので、むしろそこで試験結果が大コケだったりすると、もっと勉強して東大や京大に進学する将来があったかもしれませんね。

ビジネスの目覚め 有名企業の新規事業法律相談に立ち会う

morich:そして見事、慶應大学法学部に合格されたということですね。当初志望していた慶應大学・早稲田大学どちらも合格されたのでしょうか? 

中山:国語が得意ではなかったので、早稲田大学は不合格でした。国語が科目に含まれない慶應大学は受かりました。

morich:大学進学後は弁護士の道に進んだのでしょうか?

中山:いえ、そこで「弁護士って、何をしているかよくわからないな」と気づいたのです。夢として追いかけるには材料が足りなすぎると思いました。

そこで、サークルの知人の親戚が務める弁護士事務所で、アルバイトさせてもらうことにしたのです。やはり現場・現物には現実がありますね。「向いていないな」と気づきました。

morich:大学1年生で悟ったのですか!

(一同笑)

中山:悟りました。それと同時に、学んだことがあります。その事務所は5人程度の少数精鋭で、それぞれの方が大企業の顧問を務めていたのです。したがって、各社が新規事業を起こす際には法律相談にいらっしゃいます。

僕は相談が行われている会議室にお茶を出すのですが、そこで会話に聞き耳を立てるわけです。その内容が、めちゃくちゃおもしろそうだったのですよ。

morich:ビジネスの目覚めはそこですか! 良い気づきでしたね。

中山:「こちらのほうがおもしろいぞ」と、気づきました。新規事業の法律相談の場に立ち会うことなんて、なかなか無いですよね。新鮮な経験でした。

morich:その法律相談には、大手など有名企業が来られていたのですか?

中山:誰もが知っているような企業でした。「あの飲み物に、今度こんなラインナップが出るんだ」と感じるような例もありました。

『花より男子』のような大学生活 自身のポジションは牧野つくし!?

morich:大学生活はどのように過ごしていたのですか?

中山:僕の家の家訓のようなもので、「ハタチ過ぎたら家を出ろ」というルールがあります。実家のある八潮市から慶應大学の日吉キャンパスまでは2時間くらいかかることもあり、「家賃は出すが、あとはなんとかしろ」と言われて一人暮らしを始めました。

morich:楽しそうに聞こえますが、そうでもなかったのですか?

中山:慶應大学の関係者に怒られるかもしれないですが、僕が大学で仲良くなったのが『花より男子』のF4みたいな人たちだったのです。

morich:それはちょっとタチが悪いかもしれませんね(笑)。私はあの漫画が大好きですので、わかります。

中山:『花より男子』の花沢類みたいなお金持ちの方が多くて、「中山、明日オーストラリアに行こうぜ」などとリアルに言います。「漫画の世界だろ!」と思いました(笑)。だから彼らと遊ぶために生活水準を上げなければならず、アルバイトをがんばっていました。

morich:お小遣いを稼いでいたのですね。部活やサークルなどには所属していたのですか?

中山:一応スノボサークルに入っていました。一度だけ「ららぽーとスキードームSSAWS」に行った記憶があります。

morich:それでは、バイトをしながら『花より男子』みたいな方々と遊んで、という学生生活だったわけですね。

中山:『花より男子』ではありませんが(笑)、男性でありながら牧野つくしみたいなポジションになっていました。

(一同笑)

morich:そのポジショニングですか! 松潤ではなかったわけですね。

中山:どちらかというと、松潤にバカにされるポジションでした。

福谷:先ほどお話に出た「月9」というたとえも、合っていたかもしれませんね(笑)。

祖父から続く起業家の系譜、就活も起業を軸に

morich:法律事務所のバイトで火が着いたビジネスへの思いは、その後どうつながっていくのでしょうか?

中山:就職活動の時には「事業が作れる人間になるにはどうしたらいいか」と考えていました。

morich:当時、そこまで考えている大学生はなかなかいませんよね。

中山:言い訳から始まり、それを処理していく中での自分探しでしたが、いい結果につながったと思います。加えて、僕の祖父も父も起業家だったのです。誰も跡を継がないような会社ばかり作っていました(笑)。

morich:えぇ、そうなのですか! お父さまはお祖父さまの会社を継がれたということですか? 幼い頃には帝王学のようなものも教えられたのでしょうか。

中山:小さい時には「よくゴルフに行っているな」という記憶くらいしかないですね。父は祖父の事業を継いだわけではなく、祖父も起業して閉じて、父も起業して閉じて、というかたちでした。

morich:それでは、お2人ともまったく違う業種ということでしょうか?

中山:祖父は山口県から三池炭鉱などに木材を送る林業を営んでいたそうです。炭鉱が時代とともに廃れると「これはもうダメだ」と閉じたと聞いています。父はぜんぜん違って、医学書の出版業でした。それも紙の本という媒体が時代にそぐわなくなって、閉じたということでした。

morich:そのDNAが脈々と受け継がれているのですね。

中山:DNAというよりは、会社勤めというイメージがあまり持てなかったのです。母方はお坊さんの家なので、家系の中に「サラリーマン」がいないという状況です。だから就活の時には参考にならず、困りました。

morich:就活の時はまだ「起業するぞ」という思いではなかったのですか? 当時は学生ベンチャーのはしりもあったかと思います。

中山:当時はまだ学生ベンチャーが怪しげな印象を持たれていました。やり方がよくわからず、そちらに進む勇気もなかったです。ただし、いつかは起業したいという思いは持っていたため、そこにつながるような会社を探していました。

morich:入社されたサイバーエージェントは当時も今も、大人気の企業ですよね。

中山:僕が大学3年生で就活を始めた2004年頃は、今ほど大きな会社ではありませんでした。1998年に設立して2000年に上場、2005年頃は「アメーバブログ」もできたばかりでした。IT企業として勢いがあるという状況だったと思います。

2004年から2005年頃は、「GREE」がメジャーなSNSです。その中の「サイバーエージェント」というグループに、誰もが「いいね」をしたり登録したりしていました。意識の高い同級生たちはけっこうインターンに行っていたみたいです。「将来事業を作りたいのに、サイバーエージェントを知らないなんてマジでもぐりだぞ」と言われたのが知るきっかけになりました。

morich:いいお友達ですね! それで中山さんもインターンに行ったのでしょうか?

中山:インターンにしては遅い時期だったので、グループ面接に行きました。

morich:慶應大学法学部の学生の多くは、JTC企業に就職されたのではないですか?

中山:まさに、そのとおりです。僕が入っていたゼミは、弁護士や会計士になる人が多い会社法のゼミでした。そのほかの就職先は大手企業が多く、メガバンク、大手商社、大手航空会社、大手広告代理店、大手メーカーばかりでした。先輩たちも同じです。

morich:そうですよね。周りにはそのような人しかいない環境だったと思います。

中山:現役生が参加する4年生のOB会で、就職先を発表する場がありました。誰もが有名企業の名前を言って「おぉ〜!」などと反応をもらっている中、僕が一番の拍手をもらいました。僕が「サイバーエージェントにいきます」と言うと、「うおぉぉぉ!」とどよめきが起こりました。戦場へと送られるような印象です(笑)。

(一同笑)

morich:「月に行ってこい」みたいな(笑)。みなさん想像がつかなかったのでしょうね。ベンチャーに就職した唯一のゼミ生だったのではないですか? 迷いはなかったですか?

中山:唯一のOBでしたが、迷いはなかったです。面接で一般社員の方、役員の方と会わせていただいて「ここだ」と思いました。

morich:やはり「事業を作る」というゴールがあったからですか?

中山:それに加えて「時間軸」ですね。当時も今も、20代でバンバン事業を作る社員がいる会社って、なかなかないと思います。今考えれば30代での起業も早いように思いますが、21歳だった当時は「30代まで待てない」と鼻息荒くしていました(笑)。

サイバーエージェントに入社 藤田社長の運転手も務める

morich:サイバーエージェントに入社された後、ギャップはありましたか? それとも理想郷のような場所だったのでしょうか。

中山:大変でしたが、ギャップはまったくなかったです。

morich:20代の事業部長、子会社社長もどんどん生まれていましたよね。

中山:同期からも、先輩後輩からもそのような例はたくさんありました。

morich:最初の配属は社長室で、藤田晋社長(当時)の運転手も務めたのですよね?

中山:藤田社長も当時まだ31歳か32歳くらいだったと思いますが、僕を含む何人かでローテーションして運転手を務めました。僕の代では、朝のお迎えだけの運転手です。社員に運転手を任せる目的は、「どうせタクシーに乗るのだったら、若手社員と話せた方がいい」ということだったようです。

morich:それでは、本当に運転するわけではないのですね。

中山:いえ、運転していました。藤田さんも「命からがらだ」と言っていましたね(笑)。おそらく危なすぎたので、その制度は数年後にはなくなりました。

morich:それでも、藤田社長のお家までお迎えに行って、会社まで車の中でお話ができるというのは、めちゃくちゃ貴重な経験ではないでしょうか?

中山:想像してみてください。あの藤田晋さんと新卒の僕が、車の中で30分近く1on1をするのですよ。本当にラッキーで、これは絶対にやりたい経験だと思いました。ほかの担当者が忙しくなってくると「ごめん亮太郎、今日お迎え行って」と言われることもありましたが、僕は喜んで行っていました。

morich:運転手のお仕事の中で、何か思い出深いエピソードはありますか?

中山:サイバーエージェントには「21世紀を代表する会社を創る」という有名なビジョンがあります。僕は運転しながら「なぜこれほど社内でビジョンが浸透しているのですか?」と聞いたことがあります。

藤田社長に教えていただいたのは、「壁などに掲示したり冊子を作ったりしても、最後はとにかくいろいろなところで言い続けるしかないんだよ」ということでした。

morich:その教えは、今に活きているのでしょうか?

中山:活きています。マクアケの「生まれるべきものが生まれ 広がるべきものが広がり 残るべきものが残る世界の実現」というビジョンは、ことあるごとに言い続けています。これは藤田社長のアドバイスがあったからです。かっこいい冊子を使えば一発で浸透するわけではないのです。

morich:何気ないふだんの会話というのがいいですよね。会議室で行う1on1だと身構えてしまうと思います。

中山:たまに声が小さくて聞き取れないこともありました(笑)。

morich:これはカットしてもらいたいのですが、私は上場前の藤田さんと合コンをしたことがあります。

中山:これはカットでしょう!

(一同笑)

morich:その日はぜんぜん、何もなかったのですが、確かにお声は聞こえづらいですよね。

中山:運転中の会話は大きな声を出すタイミングではないですし、怒らない方ですので、聞き取れないこともあるという話でした。聞き返すために後ろを向くこともあり、これが一番危なかったと思います(笑)。

福谷:私は何も聞かなかったです。

(一同笑)

中山:先ほどのすばらしいアドバイスのほかに、おもしろい話があります。「中山くんは将来何がやりたいの?」と聞いていただいた時、「自分で会社を作ったり、事業を作ったりしたいのですよ」と、ちょっとヘラヘラ笑いながら言ってしまいました。

「ふうん」というような反応だったのですが、その日の藤田社長のブログに「運転手のNくんがヘラヘラしながら夢を語った。これは良くない」といった内容が書かれていたのです。それを読んだ時にハッとして、「夢を語る時にヘラヘラするのは二度とやめよう」と思いました。

morich:「夢ってそんなものではないぞ」ということだったのでしょうね。

中山:サイバーエージェントの社内ベンチャーで始まったマクアケは、最初からキャッシュが回っていたわけではありません。事業存続がどうなるかわからない時期もありました。

そんな時に開催されたトップへの戦略プレゼン会では「もう理屈では難しいだろうな」と思い、戦略は当然ながら、会社のビジョンも真顔で語ったのですよ。目からビームが出るくらい真剣に語ったら、「そんなきれい事を真顔で言うのはお前と熊谷さんくらいだ」と褒められました。

morich:なるほど(笑)。現・GMOインターネットグループ株式会社CEOの熊谷正寿さんですね。

中山:その戦略プレゼン会で最高得点を獲得して、マクアケは首の皮一枚でつながりました。当時から約十年前、その車の中で受けたアドバイスがなかったら、ヘラヘラして「こいつ本気じゃないな」と思われていたかもしれません。本当に貴重な時間だったと思います。

morich:アドバイスをちゃんとインプットして実践して、ということだったのですね。ちなみに、社長室ではいろいろな新規事業のインキュベーションもされていたのですか?

中山:入社して2ヶ月くらいは「最初はベンチャーキャピタル強化だ」と言われました。そこでベンチャー企業にアポイントの電話を取り、上司を連れて行くという仕事をしていました。その中でミッションができたのです。

クレディセゾンさんから「ネット会員数の増加・ネットビジネス強化」をゼロから立ち上げるために、サイバーエージェントと一緒に事業を作ろうという話を持ちかけていただいたのです。今でいう「オープンイノベーション」ですね。

当時の上司には、新卒でいきなりサイバーエージェント側のメインプロデューサーを任せてもらいました。それが最初のお仕事になります。

morich:私と中山さん共通の知人に、クレディセゾンの元社員さんがいます。

中山:まさにその方が、クレディセゾンさん側の責任者の方でした。

morich:リーサルウェポンみたいな人ですよね。

(一同笑)

中山:そうですね(笑)。お世話になりました。

ベトナムで送る「新規事業投資千本ノック」の日々

morich:あとは、ベトナムにも赴任されていますよね?

中山:ベトナム赴任の経緯には、事業構想の話が関わります。当時からずっと事業作りや会社作りのことは考えており、いろいろな方に意見をうかがったのですが、「どんな事業か」のアイデアはぜんぜんありませんでした。

またその頃は、事業を立ち上げながら運転手の仕事も続けていました。そこで「黒字化しました!」という報告をしたら、藤田社長は「黒字化は、売上が1万円でもコストが9,999円ならできる。僕は大きな車輪を回して、大きなインパクトを出して、それでも利益が残るという事業がすばらしいと思う」とおっしゃいました。

morich:多くの人は、黒字化を一つのマイルストーンとして持ってしまいがちですよね。

中山:この時もハッとして、「それでは、大きなインパクトとはどんなものだろう?」と考えました。それほど頭も良くないので、単純です。「世界中にインパクトを残すことだ」という答えに達しました。

そこで問題が生まれたのです。「僕、東京メトロと山手線の地図しか頭に浮かばないな」と気づきました。幼少期に国際交流団体に入っていたにもかかわらず、海外のことがぜんぜんわかっていませんでした。

morich:英語劇もされていたというお話だったのに(笑)。

中山:「これはまずいな」と思っていたら、すごいタイミングで当時の担当役員から「中山君、ベトナム行かない?」と言っていただいたのです。僕がうじうじしていたら、上司にも「えぇ!? 中山は行きたくないの?」と言われました。そこで「行っていいなら行きたいです」と返事をしました。

morich:海外赴任に対しては、社内で何かアピールをしていたのですか?

中山:特にしていませんでした。ただし「いつか経営者になりたい」ということはふだんから言っていたので、上層部の方々は「いつかどこかで海外赴任させてやろう」と思っていただいていたのかもしれません。

morich:英語関連の資格のスコアはけっこう高かったのでしょうか?

中山:英語に関しては「大学に入学するくらいのレベルでは話せます」と伝えていました。嘘はついていないです(笑)。

morich:「英語劇くらいはできますよ」と。

(一同笑)

中山:そのような経緯で、ベトナムに行く機会をいただきました。

morich:サイバーエージェントさんは、ベトナムでどのようなビジネスをしていたのですか?

中山:ベンチャーキャピタルです。ベトナムでは前任者がいたのですが、1年半から2年ほどご担当されてから「ピザ屋として起業したい」と退職されました。「Pizza 4P’s」というお店で、今は有名店になっているかと思います。そこでポストが空いたことから、僕が赴任することになりました。

morich:「Pizza 4P’s」はベトナムで食べたことがあります! すごくおいしかったです。ベトナムはどうでしたか?

中山:おもしろかったです。「本当のブルーオーシャンとはこのことだろうな」と思いました。

morich:当時のベトナムには、ベンチャーキャピタルが存在したのですか?

中山:僕が赴任した2010年当時、ソフトウェアのアウトソースのエンジニアリング会社は、国を挙げて作っているくらいの規模でたくさんありました。NTTドコモなどの日系企業が出資しており、通信回線も整っています。

morich:いろいろと揃っていたのですね。

中山:モバイル回線がとても速くて、スマホゲームの『パズル&ドラゴンズ』がサクサクできました(笑)。「Skype」を使ったオンライン英会話も、タクシーに乗りながら受講できた記憶があります。

「エンジニアもいる、起業家気質の方々もたくさんいる。通信回線は早い。あとはお金とノウハウだ」という状況でした。加えて、日本企業のベンチャーキャピタルはほかに1社しかおらず、その企業もすでに投資を終えた段階にありました。仲間も競合もいない、ということですね。

morich:私も先ほど「ベトナムでベンチャーキャピタルに携わった」というお話を聞いて、「ベトナムか!」と思ったくらい、競合が少ない印象があります。

中山:投資を行う企業の多くは、人口の多さからインドネシアを優先する傾向にありました。「ベトナムは二の次だ」という状況だったので、けっこう悠々自適でした。

morich:おもしろいように新しいビジネスを生み、投資もしていたということですね。サイバーエージェントさんとしては、ベトナムが初の海外展開だったのですか?

中山:過去には米国などいろいろあったようですが、投資部門としては中国が最初にあり、ベトナム、インドネシアに展開していました。おもしろかったのが、日本とベトナムの産業構造の違いです。当時のベトナムはいわゆるオフライン産業がまだ未成熟でした。

日本のインターネット業界の成り立ちは、広告がインターネットにシフトし、小売がECになるというものでした。一方、ベトナムの場合はインターネットが産業自体を伸ばしていかなければなりません。すごいダイナミズムがありました。

morich:イノベーションのジレンマがなく、いきなりインターネットから始まるというのはおもしろい市場ですね。

中山:すごくおもしろかったです。それほど小売業が強くない中でECの会社にも投資したり、オフライン広告が発達しきっていない中で、いきなりアドネットワークの提案をしたりという状況がありました。

morich:ベンチャーのマーケットの中で「ヒト・モノ・カネ」を短期間でまとめて見られたのですね。

中山:おっしゃるとおりです。「ブルーオーシャンって本当に大事だな」とわかりました。また、ビジョンを掲げると仲間ができるのだということも経験しました。自分はなぜベトナムで投資しているのかを考えて、会社として利益を出すことだけではだめだと思い、発信を変えたのです。

ベトナムは衣服や車、携帯電話などを輸入品でまかなっており、自国で作っているものが少ないのです。通信回線などの強みがあるのだから、インターネットのサービスだけは自国で作ってほしいと思いました。そこで「インターネット事業を自国から生み出す手伝いをしたい」という提案に切り替えました。

morich:当時はインフラが日本より進んでいたのでしょうか?

中山:ファクトはわかりませんが、通信回線は速かったです。

morich:ベトナムではケーススタディのように何十件、何百件ものビジネスを疑似体験されていたのですね。

中山:千本ノックみたいに、一つひとつの案件を投資委員会に上げていきました。そのすべてで投資対象会社の現状・強みを活かした事業シナリオを考えることになります。実地でMBAを取得するような経験ですね。

やはりビジョンを掲げたことでベトナムの起業家の方々に愛していただきましたし、その周辺の方々にも「ぜひ一緒にがんばってください」という言葉をいただきました。

morich:バリュエーションがどうだ、などというファイナンスの話だけではなく、ビジネスは本来そうあるべきなのでしょうね。

中山:実は常駐して大失敗した会社もありますが(笑)、そのとおりだと思います。

マクアケ誕生秘話 日本のものづくりへの危機感

morich:そのベトナムでのご経験が、マクアケのスタートへつながっていくのですね。

中山:ベトナムでは「自国での生産品を使っていない」と問題提起しましたが、その頃は「日本も他国のことを言っている場合ではない」とモヤモヤし始めていました。例えばベトナムの家電量販店に行くと、日本の家電メーカーの製品は端に追いやられています。僕が行ったお店では蜘蛛の巣が張っていたのですよ。

ほかの国の商品が一番目立つところにあるのに、「Yahoo!ニュース」の記事では「ものづくりが世界を席巻」という文言が書かれているわけです。「いや、何かが違う。このままで大丈夫なのか」と感じました。

morich:ギャップを体感されたのですね。

中山:全力でベトナムを応援していたのですが、心の片隅で「そのような場合でもなくなってきているな」「何かできないかな」という考えが生まれ始めていました。

「iPhone」に関連して、私がよく話すエピソードがあります。当時はちょうど「iPhone 4」が販売されていて、ベトナムでは年間200万台くらい売れているということでした。「iPhone 4」の値段は日本円で10万円から十数万円なのですが、10万円はベトナムの中間層から上の会社員がもらう月給です。

初任給で2万円から3万円の感覚なのに、10万円の「iPhone 4」が200万台も売れている。しかもApple社は1円も広告を打っておらず、正規流通は1台もありません。みなさん海外から輸入しているのですね。「なぜ『iPhone』のような商品が日本から出てこなかったのか」と、けっこう悔しい思いをしました。それに拍車をかけたのが、「iPhone 4」は中身の部品の約7割が日本製だということです。

morich:「iPhone」の部品については、よく聞く話ですよね。

中山:それほど単純な話ではないと思いますが、当時は「それでは作れる技術があったのではないか」と思いました。「iPhone」のように持ち運べるパソコンと携帯がくっついたような製品は、日本でもいろいろな会社が考えて進めていたのに、なぜ日本から出てこなかったのかという違和感や悔しさです。

日本のベンチャーキャピタルには、僕など足元にも及ばないすばらしい方々がたくさんいますが、それ以外の産業が大変そうだと思いました。そこで「何かできないかな」という問答を始めたのです。

morich:「Makuake」のビジネスモデルには、何かヒントがあったのでしょうか?

中山:米国で、クラウドファンディングを通じてヘッドマウントディスプレイや「IoT〇〇」のようなものがいっぱい生まれているのは知っていました。「未来の商品がたくさん生まれているな」と頭に入れていたことを覚えています。

それと時期を同じくして、サイバーエージェントの役員が中心になって新規事業を考える「あした会議」という会議がありました。そこで、クラウドファンディングの子会社を1社作ることが決まったのです。

その中で藤田社長と当時の上司が、僕が事業をやりたいと言っていたのを覚えていてくださったのです。休みの日に「中山、クラウドファンディングって知っているか」と電話がかかってきました。

morich:そんなふうにアサインが決まったのですね!

中山:その時はちょうど、ベトナムにある日本人経営の床屋で髪を切っていました(笑)。電話で話しているうちに「これだ!」と思いました。

morich:単に言われたことではなく、もともとのお考えとつながったのですね。確信はあったのですか?

中山:「よくわからないけど、でもこれだ」と思いました。「チャンスの神様」という教訓がありますよね。チャンスの神様には前髪しかなく、過ぎ去ると後頭部の髪が禿げているため掴めないという話です。

実は過去2回ほど、チャンスに日和って先延ばしにし、後ろ髪を掴もうと思ったらすでに去っていたということがありました。今回はピンときて、前髪の先っぽくらいから掴むことにしたのです(笑)。すぐに「やります」とお伝えし、事業が始まりました。

福谷:もう、ドラマができますね。

morich:ドラマができます。中山さんにここまでお話しいただいた内容は、どこにも情報がないのですよ。……ここからが聞きたいところなのですが、今回、時間調整をミスってしまいました。マクアケについてたくさん聞かなければいけなかったのですが、すみません。

福谷:本当だ! 完全に聞き入ってしまっていました。

morich:そこで、みなさまにはぜひ中山さんが執筆された書籍をお読みいただきたいです。

中山:『日本最大級Makuakeが仕掛ける! クラウドファンディング革命 面白いアイデアに1億円集まる時代』が出版されたのは2017年ですので、今のお話を聞いていただいたほうがいいかもしれないです。

福谷:最初は「もっと話してほしいな」と思っていると、だんだん聞き入ってしまって、最終的には時間を忘れてしまいました。

morich:そうなのです。この段階で残り15分の予定だったのですが、ミスってしまいました。

(一同笑)

福谷:今日のオーディエンスには経営者の方々も多いですが、チャンスをつかむ瞬間「まで」にどんなプロセスを持たなければならないか、何を考えなければならないのかを掴んでいただけた気がしています。

morich:中山さんは、いろいろなところで得た学びを本当に実践されていますよね。

「挑戦者の事業成長パートナー」となる覚悟

morich:せっかくですので、未来の話を聞いておきたいです。

中山:やはり「生まれるべきものが生まれ 広がるべきものが広がり 残るべきものが残る世界の実現」は数年で実現できるものではないと思っています。だから今取り組んでいることについてお話ししたいと思います。

「Makuake」というサイトは、いろいろな商品やお店、コンテンツがデビューする時に使っていただく「デビューマーケットプレイス」として価値を出せるようになってきていると感じます。本当にありがたいことです。

morich:本当にマーケットになりましたよね。

中山:今は、生み出したものがデビューで終わらず、しっかりと事業として育ち、残っていくためのお手伝いをしていきたいと思っています。

「Makuake」にはたくさんのトレンドデータがあり、新しいことに関わりたい数百万人ものユーザーがいます。そこで企業が新商品を企画する時、データやターゲットユーザーと接点を持てるようにする「Makuakeインサイト」という新サービスを始めました。

「Makuakeインサイト」というコンパスを持ち、常に顧客のインサイトをつかみながら、アジャイル型で事業を成長させてもらえたらいいと思っています。また、「Makuake STORE」では「Makuake」でデビューした後も販売にコミットし、継続して売っていく場を作っています。

morich:私も「Makuake」を拝見していると「もう期間が終わっている」という例がけっこうあります。それからどこで買えるかを探しても、見つけられないことがあるのですよ。

中山:そのようなお声を多くいただいたこともあって、マクアケとして引き続き販売に携わることも強化していきます。新商品のプラン・デビュー・グロースに伴走する「挑戦者の事業成長パートナー」となる覚悟を決めました。今はマクアケ自身も変革中で、会社の新規事業を太くしていくフェーズにあります。

morich:すばらしいです。「Makuake」のユーザーさんも、本当に「応援したい」という気持ちのある方々ですよね。

中山:ありがたいことです。そのようなユニークな気持ちを持った、あるいは「ふだんは『普通』でも『Makuake』にくるとそんな気持ちになってしまう」方々だと思います。

morich:ストーリーにやられます。推しています!

(一同笑)

中山:まだまだ至らないところはありますが……。

morich:いえ、本当に日本のものづくりを支えていると思います。今日のオーディエンスのみなさまも、その部分に共感されたはずです。

中山:ありがとうございます。

morich:証券番号を聞いておきますか?

福谷:はい、ぜひ教えていただきましょう。

morich:御社の応援方法として、一番わかりやすいのが証券コードを聞くことなのです。過去に『新morichの部屋』にご出演いただいた方に聞いたところ、「個人株主が増えた」「株価が上がった」という伝説を作りつつあります(笑)。後ろで待ち構えているオーディエンスの方もいらっしゃいますよ。

中山:今確認して、覚えていた番号と合っていて良かったです(笑)。4479です! こんなことは初めてです(笑)。

morich:今、この場でサクッと買われる方もおられるのですよ。「YouTube」をご覧の方もいらっしゃいます。

中山:4479です!

(一同笑)

morich:ものづくりの応援としては、もちろん直接購入があります。ただし、このような応援の仕方もあるのですよね。

中山:おもしろいですね。学びました。

福谷:いろいろなメディアとも連動していますので、このようなかたちでも貢献できたらいいと思っています。

中山:いつもは応援する立場ですが、いざ応援される立場になってみると、やはりうれしいですね。

morich:「応援され慣れ」はしていないということですよね。今日は応援団のつもりでお送りしました。

福谷:今日の証券コードは、4479でした。

morich:そのようなことで、今日は締めくくりましょうか。本当にお話しし足りないので、またぜひ、別の機会で続きをうかがえればと思います。

福谷:「新morichの部屋」が取材に行く、というスタイルでしょうか。

morich:実は、取材については少し考えています。時間を忘れて聞いてしまうため、お話を聞ききれないことがあります。肝心なところを聞きそびれることもありますので、そのような企画も作りたいと思います。

中山:ぜひ、よろしくお願いします。

morich:4479、みなさんこれだけはメモしていただければと思います。

福谷:本日は貴重なお時間をいただき、そして会場のある高円寺にお越しいただきありがとうございました!

中山:ありがとうございました。

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