昼は鉄道駅で貨車への荷物の積み下ろし、夜はウェイターのアルバイト。17歳のソロスは、学費と生活費をすべて自分で稼がなくてはなりませんでした。(『資産1億円への道』山田健彦)
ソロス視点で考えると、近い将来の市場はドル安・他通貨高に?
投機の天才が金融界に進んだ意外な理由
世界三大投資家の1人、ジョージ・ソロス氏は、1930年8月12日生まれ。「イングランド銀行を潰した男」(”The Man Who Broke the Bank of England”)と呼ばれています。ソロス・ファンド・マネジメント(Soros Fund Management)会長。一時は投資の世界から引退をしましたが、近年またマーケットに戻ってきました。
ソロスは、投資家であるとともに慈善家という2つの顔を持ちます。投資で財をなした人は、ほぼ例外なく慈善家という顔も持っています。
彼は1947年、17歳でロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)に入学したものの、家庭の事情から、学費と生活費をすべて自分で稼がなくてはなりませんでした。
昼は鉄道駅で貨車への荷物の積み下ろし、夜はウェイターをして授業料を稼ぎましたが、その日の食事代にも事欠いたことが少なからずあったそうです。
金融界に入ったのは彼の夢であった「哲学者として自立するのに十分な資産を稼ぐことが目的だった」と述べており、必ずしも投資に興味があった訳ではないようです。ちなみに、彼のLSEでの専攻は哲学でした。
クォンタム・ファンドの時代
1969年、39歳のとき、ソロスはソロス・ファンド・マネジメント(Soros Fund Management)を設立し、翌年ジム・ロジャーズとともにクォンタム・ファンド(Quantum Fund)を立ち上げます。
ファンドの名称はヴェルナー・ハイゼンベルクの不確定性原理を基礎とする量子力学の「quantum(量子)」にちなんで名付けられました。
ファンドは1973年からの10年間で、4200%のリターンという驚異的な成績をあげました。
総資産は設立から30年で260倍になったので、最初に100万円預けていれば2億6000万円になった計算です。
イングランド銀行に戦いを挑む
以前よりソロスは、イギリスの経済力に比して、通貨ポンドが政府により異様に高く固定されていると考えていました。
イタリアによるリラの7%切り下げを契機として1992年、ソロスは短期間に巨額のポンド売りを行いました。
これによりポンドは大きく下落しましたが、イギリスはユーロ導入に向けポンドをERMのルールに基づき固定させる必要があったため、イギリス政府・財務省はポンドの下落に対し徹底的に買い向かいました。
しかし資金が尽きてソロスに敗れ、固定相場制から離脱しERMを脱退、ユーロ導入を断念することになったのです(ポンド危機)。
この戦いでソロスの得た利益はなんと総額2500億円、イングランド銀行が白旗を掲げる最後のたった1日で1200億円を稼いだそうです。
ソロス様様?
この結果、イギリスは統一通貨ユーロへの参加を断念したのですが、このことがかえってその後のイギリスの繁栄をもたらしたのですから、世の中、何が良いのか分かりません。
かなり背伸びをして統一通貨ユーロに参加したイタリア、スペイン、ギリシャ等の南欧諸国が経済的に疲弊し、ユーロの恩恵を受けているドイツがその恩恵の大部分をそれら南欧諸国救済のために支出している、という状況を見ると、イギリスにとっては、ソロス様様と言ってよいのかもしれません。
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