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日経平均2万円は通過点!ITバブル時の20,833円を超えれば24,000円も見えてくる

終末は一瞬、2万円の大台に乗せた。

そこでSQ値が決まったから20,008円に決まった。実は20,008円という日経平均の値は当日存在しない、「幻のSQ値」だ。

だいぶ以前にこのようなことがあり、本稿では「幻のSQ値乱含みだ」と言った。当時は偶然のその通りになったが今回もそうだとは限らない。

この2万円という数値は、この線は越えないだろうと思われた市場の一部(筆者含む)のコンセンサスを上に突き破った強さを見せた、という場味(バアジ)を示現した意味はある。だが、それ以外に2万円の数値にはマスメディアが騒ぐほどの特別の意味はない。「15年前の2000年ITバブル以来だ」と騒ぐが、日本の初の2万円乗せは28年前の昭和62年(1987年)で円高に向かう発車点での出来事だった。これは意味が大きかった。

今の2万円は、長い円高デフレと政治不作為の結果をくぐり抜けて28年前に到達した点にやっと辿り着いた、ということである。その意味では日本人の忍耐力に意味があったとも言える。

2万円は1つの区切り点というメドにすぎない。2万円は「神の約束の地」ではなく「旅ゆく途中の1つの通過点」にすぎまい。反落にしても反騰にしても。ここからはレベルの問題でなく、方向の問題であろう。

平成になってからの2万円は因縁場として溜まり場だった。7回あったが全部そうだった。2万円の上に長く留まったのは、平成バブル大天井を挟んだ前後4年間だけであって、それ以外の7回は2万円の上に1年以上留まったことはなかった。

昭和62年(1987年)の初の2万円乗せには意味があった。

史上初めてのことだったし、エズラ・ボーゲルの「ジャパン・アズNO.1」の体現であったし、当時の国力の象徴であった。2万円を超えて目標達成感などはさらさらなく、そのままほとんど素通りで2万6千円台まで進み、そこでブラックマンデーを迎えた。が、世界に先がけて直ちに回復した。

日本電電公社の民営化株式はNTT株として約119万円で一般国民に売りだされたが、その2カ月後には約320万円になった、

その年の秋、ブラックマンデーが起き、日本も午前中の半日はほとんど全銘柄が売り気配で値がつかないという状態だったが、あわや2万円を割るかというところまで来たが、その回復力を世界で先駆けたのは日本であって世界中に感謝された、という強さだった。その瞬間、安値から2年強で約2倍になった。

それが89年末の史上最高値38,915円である。

昭和62年(1987年)の史上初の2万円乗せには日本経済史上の意味は大きかったが、今の「(2000年春のITバブル大天井以降の)15年ぶりの2万円」には特段の意味はない。それどころか史上最高値89年12月末が崩壊して以後の2万円ラインの出没は6回あるが夫々が因縁場となってきた。

せっかく2万円に瞬間でも乗せたとお祭り騒ぎの中、不吉なことを言うようで恐縮だが事実は事実とせねばならない。

89年末の史上最高値を付けた後、大崩壊のあとの6回にも亘る2万円攻防戦は因縁場を形成した。2万円の上に長くとどまってなお2倍近くまで行ったのは89年を大天井とする平成大バブルの時1回しかない。

2万円を超えて2000年ITバブルの20,833円を超えてくれば24,000円があるかもしれない、その前に96年の財政出動(今でいう「第2の矢」)による22,666円を当面のメドとするだろうが、その時代はプラザ合意後の超円高の試練を得た後だったから、財政出動というカンフル剤の効き目とはいえ、R・クー氏の言うバランスシート不況の中での22,000円台だったから、それなりの意味はあった。2万円の上に1年留まったことはこの時しかない。

このころまでは日本経済はまだ円高デフレの傷が病膏肓(やまいこうこう)に入るというところまでは行っていなくて、壮年並みの体力があった。

山崎和邦 週報「投機の流儀」』(2015年4月12日号)より一部抜粋

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