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豪雨に負けない森はどこへ…。今国会で成立「森林経営管理法」が日本の山と林業を殺す=田中優

子孫のために森を守ってきた「きこり」を蔑ろにしてよいのか…

かつてきこりたちは、荒れた山に土嚢をかついで登り植林をし、山を再生させてきていた。

その木材は育つまでに百年以上かかるため、自分の利益のための努力ではなかったのだ。子孫のため、未来世代の人のために努力してきたのだ。百年後に木を売って利益が得られるとしても、自分の世代ではなかったのだ。その努力を横から出てきてかすめ取る。それがこの法によって実現させられようとしているように見える。

今やっと育ってきた木を、もっと樹齢を重ねた豊かな材にしてはどうか。遮二無二伐採して木材の齢級を平均化させるのではなく、古くからの森と新たな森が共存していても毎年伐採する木材の量を平均化させることはできるはずだ。

山を壊すのは林業政策の失敗であって、重すぎる「高性能林業機械」を入れるために削り取った林道だ」と知ったうえで、今を見てほしい。じっくりと私たちの生涯以上の長さで変化していく山を監視していてほしい。

新制度は「山殺し」でしかない

私たちは宮城県の山で、山を保全して使い続けていくための林業を実施している。

皆伐はせず、択伐しながら広葉樹の自然林を造ろうとしている。そこにつける道路は極めて小さな小径を細かに入れ、運び出すのも「高性能林業機械」ではなく、かつて盛んに使われていたウマに頼っている。ウマなら自分で小径を選んで作り、林道を壊すこともない。しかも夏場には最も費用の掛かる下草狩りを、頼まなくても食べてくれる。最初一回の下草刈りだけで、後の下草刈りはウマとウシとがやってくれる。彼らは炎天下でも自由に動き回り、下草を食べ、植林木への栄養を届けてくれる。

本来の林業はこうした人間を含めた生き物たちの場が育んでいく場ではなかったか。もともと林業は工業生産ではない。その対極にある生命の営みに合わせた時間のかかる生産なのだ。

それを現場も知らない見にも来ない人たちに管理させるのがおかしい。もっと謙虚になって自然に起きることに学びながら進めなければ、結局「林業」とは名ばかりの利権の奪い合いの場にされてしまうのだ。

林業者の側から見ると、勝手に「所有した」と名乗る人たちによる「山殺し」でしかないのが、「林業の再生」という名目の新制度である。山という場は、たくさんの生き物が交錯して暮らす場で、カネになるためのものを育てる場などではない。そこには仲間としての生き物に対する敬意がないとうまく進められないし、無理な使い方を考えるのではなく、無理のない利用法を昔に遡って教わるようでないと実現できない。

それを水が売れるからと買収して水源を奪ったり、高値で売れるからと伐採して輸出したりするのが間違っている。あくまで天然素材はその地に付随する豊かさとして存在するだけであるので、販売したり輸出するためのものではない。

Next: 皆伐後に設置される太陽光発電パネル。それは本当にエコなのか?

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