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これから「長生き地獄」時代に突入する日本人は、最低でも5,000万は貯めろ=鈴木傾城

老後に「資産ゼロ」にならないための方法は2つある

少子高齢化が進行する日本では、このまま何もしないと社会保障費は膨らむ一方なので、年金が増額になる可能性はほとんどゼロに近い。増額どころか少しずつ着実に減額になっていく。

長寿と貯金取り崩しの組み合わせは、最終的には「資産ゼロ」に向かう道なのである。しかし、そうは言っても自分がどこまで生きられるのかは分からないのだから、その道に向かうしかない。

これを避ける道は実は2つある。1つは現実的かつ合理的な話で、もうひとつは本当は現実的だが非道徳なので非現実的だと考えられるものだ。

まず「非道徳なので非現実的」な方から話していきたい。実はこれについては、私自身が考えているものである。私は何をするつもりなのか。

「非道徳なので非現実的」な合理的解決方法?

これは、あまり他人には言えない話であり、現に私は今まで他人には一言もこれを言ったことがないのだが、私自身は30代の最初の頃からずっと考えていたことがある。

他人には決して勧めないし、他人に「こんな考え方がある」と言うこともない。自分自身が「そうしたい」と思っているだけで、99%の人は聞いても首を振るだろう。

私は何をしたいと思っているのか。

私は「自分の寿命が100%の確率で分かっていれば、老後資産の問題は解決できる」と実は30代の頃から考えていた。

どういうことかと言うと、たとえば自分が80歳ぴったりに死ぬと思えば、80歳ぴったりに資産がゼロになるように設定してしまえるわけで、自分の死ぬ日が分かっていれば非常に合理的に資産配分ができる。

自分がどれくらいの資産があって、死ぬまでにどれくらいのグレードの生活をしたいかで寿命を決めて、計画的に金を使って資産がゼロになった時点で寿命が終われば、まさに「有終の美」である。

恐怖の本質は、貯金がゼロになっても生き続けること

老後の資金問題というのは、貯金もゼロになってまだ生き続けていることの「恐怖」が本質であると気づけば、それに対する合理的なソリューションは、貯金額と寿命を合致させることである。

つまり、自分の人生が何歳で終わるかを最初から決めておいて、それに合わせて資産管理をして、その日が来たら自分で死んでしまえばすべてがうまくケリがつく。

私自身は資産がゼロになるという心配はすでにしなくてもいい理由がある。普通に生きていれば金は切れない仕組みができあがっている。

ただ私は寝たきりになって介護されて生き続けたいと思わないし、金を残す相手もいない。介護されて生きながらえるくらいなら、自分で自分の人生を終わらせたいと考えている。

そのため、私は人生の終わりの期限を決めている。「それ以上は生きない」という期限を設定している。

私のように、自分で死ぬ時期を設定すればいろんな問題が解決する。自分の寿命が分かっているというのは、意外に幸せなことなのである。

ただ「金がなくなったから死ぬ」とか「介護されたくないから死ぬ」というのは、「生きたくても生きられない人もいるのだから軽々しく言うな」と批判される元になる。

だから、それは合理的解決であるが、口に出して言うべきものではない。そして、仮にそうすると決めても、実際にはそれができる人はそういないだろう。

ちなみに西部邁(にしべ・すすむ)氏は、自分で自分の寿命を決めていてそれを実行した。印象的だった。

Next: 長生きしたいなら、永遠に資産がゼロにならない仕組みを作るしかない

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