モジャーヘディーネ・ハルグ
このメールにある「People’s Mojahaddin of Iran」とは、「モジャーヘディーネ・ハルグ」のことである。別名「MEK」とも呼ばれている。
「MEK」は、1965年に当時のイランを統治していたパーレビ国王の独裁体制の打倒を目標に設立された反体制組織だ。イデオロギーは社会主義で、イスラムとは距離を保っていたが、1979年のイラン革命でホメイニ師が指導する反体制勢力が強くなるとこれと協力し、パーレビ体制を打倒した。
しかし、ホメイニ師によるイスラム原理主義の国家体制が出現すると、今度は現在のイスラム共和国の体制に離反し、政権の打倒を目指すようになった。1980年から1988年まで続いたイラン・イラク戦争では、サダム・フセインの庇護のもと、イラク側で戦った。2003年にフセイン政権が崩壊すると、イラク国内にいた「MEK」のメンバーは米軍に投降した。
このように、イランと敵対するイラク側で戦ったために「MEK」はイラン国内では裏切りものと見なされ、国内の支持基盤はとんどない。「MEK」の唯一の基盤は、フランスに住みパーレビ政権を支持する人々だ。
本拠地はアルバニア
このような「MEK」だが、この情報を見るとかなり小さな組織であるように思うかもしれない。しかし、実際はそうではない。アルバニアに相応な規模の軍事施設を持ち、5千人から3万人のメンバーを有する強力な軍事組織である。
「MEK」はアメリカではテロ組織として指定されていたが、2012年にそれは突然と解除された。同じ年、アルバニアはイランとの外交関係を回復する準備をしていたが、それを突然と中心した。そして、やはり2012年に「MEK」がアルバニアに拠点を移し、巨大な本拠地の建設を始めた。
2012年にアメリカが「MEK」のテロ組織指定を解除した理由は分かっていないが、オバマ政権から多額の支援金の支払いと引き換えに、「MEK」の拠点をアルバニアに構築する提案がアルバニア政府にあったとの情報がある。
アルバニア政府はこれを受け入れたので、イランとの外交関係を破棄したのではないかと見られている。
ジョン・ボルトンとの関係
そして興味深いのは、「MEK」と安全保障担当補佐官のジョン・ボルトンとの関係である。
以前にも当メルマガの記事で何度か紹介しているが、アメリカには資金の流れから政治家の背後にいる勢力をあぶり出す「オープンシークレット・ドット・オルグ」というサイトがある。運営しているのは民主党系のNPO法人だ。
試みにこのサイトで「MEK」に関係する資金の流れを調べると、興味深いことが分かる。「MEK」にはアメリカでロビー活動を展開する「イランに抵抗する国民委員会(NCRI)」という名の団体を運営している。ここは「MEK」の支持を拡大するための、共和党を中心に多くの政治家に献金をしている。
なかでも「NCRI」から最大の献金を受けているのが、ジョン・ボルトンである。この献金もあってか、ジョン・ボルトンは2017年にパリの「MEK」支持集会で支持演説をしている。