コモディティは安物の使い捨てと化す
「誰でもできる仕事」に関わると、賃金が下げられたあげくに「使い捨て」されてしまう。
人間が日用品を使い捨てするように、企業も「誰でもできる仕事」をする人間を日用品のように使い捨てする。
他の人で代替可能な仕事をしている人はコモディティ化する。
人間をコモディティ(日用品)と同列にするのは、よくよく考えれば冷徹な発想だが、企業は人間を「人材」と言って材料のように扱っているのだから、明らかに冷徹な発想で人間を扱っている。
人材というのは取り替え可能な人間を指す。だから企業は、材料を取り替えるように人材も取り替えるのだ。
すべての仕事が「コモディティ化」しうる
使い捨てと言えば、レジを打つ仕事や、ウエイトレスや、受付嬢のような仕事を思い浮かべるかもしれない。しかし、現代の「コモディティ化した仕事」というのはそれだけではない。
たとえば、会計士や税理士のように一見専門職に見える仕事も「コモディティ化した仕事」である。あまりにもその資格を取る人が多すぎて、「他の人でも代用できる」という仕事になってしまっているからだ。
大量に資格保持者がいて、それが大きな価値を持たなくなっていると、資格を取っても食べていけない。資格がコモディティ化しているからだ。自分だけは専門職と思っても、社会から見ると専門職ではなくなってしまっている。
学歴では優位にならない
これは学歴にも言える。
大学卒業という学歴は大学に行く人が少なかった時代では意味があるものだったが、大学全入時代になるとそれはコモディティ化してありがたくも何ともなくなった。
コモディティ化したものに大金をかけていると、投じた資金を取り返せず、結局は不幸なことになってしまう。
コモディティ化したものは、買い叩かれて最低賃金にまで落とされるのだ。
そこに例外はない。すべてのコモディティは、安物の使い捨てと化す。