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中高年も激増「ひきこもり」146万人の衝撃。日本の親には「何が何でも自立させる」という意思が足りない=鈴木傾城

「自立できない」のは、とても危険なこと

自立が重要な理由は、いくらでも挙げられる。

人間は親子であったとしても、それぞれ独立した生命体である。親の生きる道と、子どもの生きる道はまったく違う。だから、子どもは自分の人生を生きるために、親から独立しなければならない。

また子どもは親から自立することで、精神的にも自由になる。親に依存するというのは、親が常に自分の人生に介入するということだ。自立することによって、子どもは自分の人生を親から解放することが可能になる。

親から独立するというのは、自分で稼いだ金を自分で使うということでもある。自分が稼いだ金なのだから、それをどのように使おうと、親には関係ない。自立が維持できる限り、自分の金は自分で自由に使える。自立するというのは、経済的にも自由になるということなのだ。

自分が自立すると、親の負担を減らすことにもつながる。いつまでも親に依存し、親にぶら下がるというのは、親に経済的にも心理的にも迷惑をかけ続けるということだ。

いつまで経っても自立できない子どもは、親を精神的にも経済的にも消耗させている。つまり、迷惑をかけ続けている。

自立できないと、結婚もできない。自分が自立できないと、家庭を持つという人間らしい営みが不可能なのだ。自立できず、自分すらも養えない身で親と同居しているうちは、結婚は夢のまた夢となる。

その人が何歳であろうとも、「大人ではない」と見なす

自立するためには、自分の身を自分で管理しなければならない。それを成し遂げることが「自分の人生を生きる」ということである。

管理とは「コントロール」とも言う。自立できていないというのは、自分の身を自分でコントロールできないということでもある。

つまり、自立できていないと、他人に振り回され続ける。親に振り回され、自分は常に隷属的な立場として、いつまで経ってもその境遇から逃れられない。ずっと束縛され続け、その束縛から逃れられないのである。

親に依存し続け、束縛され、振り回され、自分で自分の人生をコントロールできないというのは、大人の年齢になっても、真の意味で「大人になれない」ということでもある。発言権もなければ、人間としての重要性も劣る。

親から自立できていないというのは、自分の人生の面倒を自分で見るという必要最小限の責任を放棄しているのだと見なされるのだから、世間に出ても発言権などあろうはずもない。

世間は、いつまで経っても親に依存している人間を見ると、その人が何歳であろうとも、「大人ではない」と見なすのである。

「親から自立できていない」というのは、あらゆる面で問題がある。年齢からして、親は子どもよりも先に死ぬことになる。そうでなくても、親は子どもよりも確実に歳を取って子どもの依存を支えきれなくなる。

自立できていないと、子どもは確実に窮乏に落ちる。子どもが五体満足なのに自立させない親というのは、本当は子どもを不幸にしている親でもある。

こんな弱肉強食の資本主義の時代だからこそ、親は何としてでも子どもに「自立できる」という力を与える必要があるわけで、自立できないという状態を容認していてはいけないのだ。

Next: 日本の教育にも欠陥がある?「何が何でも自立させる」という意思が必要

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