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ドイツ銀行はほんとうに破綻するのか?不調の本当の原因はディーリング部門だった=山崎和邦

ドイツ銀行株の今後の行方について考察する

今回はドイツ銀行のことを要約したい。3~4年前にドイツ銀行が危ないという話しが出た時に筆者は外債に詳しい者から聞いて、ドイツ銀行の社債をジャンク債投資として買って短期間で少々利食いしたことがあった。

それ以来ドイツ銀行に興味を持った。まず、ドイツ銀行が危ない、潰れる寸前まで来ているという話しが根拠もなしに伝わっている

もしドイツ銀行が本当に破綻したならば、これはリーマンショックよりも大きい。日本で言えば、三菱銀行・三井住友銀行・みずほ銀行がいっぺんに破綻したのと同じぐらいのことになると想定して良いぐらいである。ドイツ銀行が「身を切る改革」に進んでいるがというが、1万8,000人を削減するという。

平時におけるみずほ銀行でさえも、2万人を削減すると言っている。ドイツ銀行の経営失敗は、もとはディーリング部門の失敗である。自社の金を使って相場で利益を上げようということに失敗したのが、山一證券・三洋証券等の巨大証券であり、その10年以上前から日本で5番目の証券会社の国際証券(今は三菱UFJ国際証券となって見る影もないが当時は5番目だった)に、豊田善一氏はそこの社長として野村證券の副社長から転籍した。

そして、10数番目だった国際証券を短期間で5番目の地位までもってきた。その国際証券元社長豊田善一氏とは筆者は新人の頃から良く知り合っていた。

筆者は、彼の直属の部下になったことはないがある程度親しい仲だった。

とにかく良く仕事をする超リアリストだった。彼が10数番目の会社をあっという間に5番目にした理由はそれは単純明快なことだった。会社の金を使って相場で儲けようということを一切やめさせたからだ。「儲かるからやろう」と主張するディーリング部門の責任者に対して「儲かるならば顧客に儲けさせろ。そして手数料を頂け」、これを徹底した。

単純なことだった。彼が野村證券で株式担当役員をしていたころ、相当に頭も良いし腕も良い優れた人をディーリング部門の責任者を担当させたが、全員が皆、うまく行かなかった。「相場を張ってとるということは難しいのだ。それを一切やめさせたからだ良かったのだ」と豊田氏は誰にも語っていた。

野村証券創業者の野村徳七翁は、日露戦争相場で大儲けし、そこで考えた。「もし相場の目が反対に出たら恐ろしいことになった。もう相場を張って儲けることは止めた。経済を調査し、企業を調べてそのうえで投資をするのだ」と。これが「調査の野村」のブランドの始まりだった。そこで周防行40周年を期して鎌倉に大規模な野村総合研究賞を設立した。これを以て日本の「総研」の嚆矢と為す。

100年以上前に野村徳七翁が悟り、40年前に豊田善一氏が実行し、30年前に筆者が銘記して実行してきた基本方針を、ドイツ銀行は今から「改革」に取り組むという。聡明なはずのゲルマン民族の銀行としては遅きに失した感がある。だからこそ今から大底圏内を買うという好機がある。

ドイツ銀行はその部門で失敗した。米モルガンスタンレーも米ゴールドマンサックスもトレーディング分野の見直しを進めている。スイスのクレディスイスもトレーディング部門を縮小して、顧客の資産の運用部門に軸足を移したという。

30年数年前に野村證券副社長から国際証券社長に就任した豊田善一氏は、平成バブルの真っ最中、どこの会社でもディーリング部門で儲かっている最中に、それを一切やめさせた。「一株でも買ったらクビにするぞ」とディーリング部門の責任者に言い渡した、と筆者にも語ったし30年前に三井ホームが上場するときに7%の幹事証券になったので豊田社長は時々三井ホームに来た。その時にも常に同じことを言っていた。

Next: 今後、ドイツ銀行はどのように持ち直していくつもりなのか

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