日本社会はまったく無反応でこの問題を放置
他人と関わると傷つく人は、最終的には他人と関わらないことで自らを守る傾向になっても私は不思議ではないと思っている。
だから、「引きこもり」問題とは「繊細さん」問題が一部に関わっているのではないかと思うのだが、統計が出ているわけでもないし、学術的に研究されたわけではないので、その認識が正しいかどうかは分からない。
もし、「なぜ、社会と戦うことなく、問題解決能力をも持たず、ただひきこもってしまう人が出てしまうのか」という研究が深まらなければ、この「引きこもり」問題はずっと放置されたままになるだろう。
実際、「引きこもり」については10年以上も前から認識されていて、ずっと「何とかしなければいけない」と言われ続けてきた問題である。しかし、少子高齢化問題と同じく、日本社会はまったく無反応でこの問題を放置してきた。
このままでは「引きこもり」問題は何の解決もなく10年後にも残り、そしてより深刻な問題と化す。
「勝手に親の都合で産んだ」
「引きこもり」は親が養ってくれるから安心して自宅にひきこもれるのだが、親は彼らが50代になったからと言って「いい加減に働け」ということはない。
20代や30代からずっとひきこもって50代に至ってしまったら、そこからさらに働かない子どもを養い続けることになる。
引きこもりを継続している男性の中には、引きこもっているから親に「申し訳ない」と思って存在を消すように暮らしている人もいるだろうが、一方で鬱屈な気持ちを抱えたまま家庭内暴力を繰り返している人もいる。
親に養っているのに、その養ってくれている大事な「金づる」の親を罵倒したり殴る蹴るの暴力を振るうというのは普通の人には理解できない感覚かもしれない。これは、『ボトム・オブ・ジャパン』にも書いたのだが、ある引きこもりはこのように心境を告白していた。
自分は生まれたくて生まれたのではない。親が勝手に自分を産んだのだ。そうであれば、自分の人生の責任を親が持て……。これが「引きこもり」をしつつ親に暴力をふるう人のロジックだったのだ。
親の方は耐えている。そして、ひたすら何もしない子どもを養い続ける。子どもがどうであれ、親は責任感が強く、そして忍耐力もある。親は見捨てることはない。見捨てることがないので、子どもは思うがままひきこもる。
この親と子の共依存にも似た関係がずっと続くのだが、親が年金生活に入るようになり、さらに父親か母親の片方が病気になったり亡くなったりすると、年金だけでは暮らしていけなくなり、親子が両方とも経済苦に落ちていくことになる。
それがすでに起きている。典型的な例として「親が80代、子どもが50代」でこの貧困問題が発生するので現場では「8050問題」と呼ばれている。