北は生命共同体を拒否する
文大統領は先の国連演説で、「南と北は『生命共同体』」だとして「防疫と保健の協力は、韓半島の平和を実現する過程においても対話と協力の端緒になるだろう」とした。
文氏は、南北が「生命共同体」と表現している。言葉としては美しいが、北朝鮮にそのような意識がゼロである。
韓国の公務員が、海上で漂流しているにも関わらず救助せず射殺された。また、過去には韓国観光客が北朝鮮海岸で射殺される事件も起こった。朝鮮同胞に対して、これほどまでに無慈悲な扱いをする北朝鮮に、韓国への「生命共同体」意識はないのだ。
北朝鮮は、国内で韓国への恐怖感を植え付け、北朝鮮の団結を高めることが先決だ。仮に、北朝鮮全体が南北融和ムードになれば、これまで行われた弾圧への恨みが噴出して、北朝鮮統治は困難になるはずである。金ファミリーの揺るぎない統治を続けるには、韓国と軍事的緊張感が必要である。
文政権は、こういう分析を抜きにして「生命共同体」という美辞麗句で飾り、北朝鮮の本質=どう猛性を隠蔽している。
文政権の盲目的な「北朝鮮愛」
韓国の盲目的な「北朝鮮愛」が、北朝鮮の真相から目を逸らさせている。
文大統領の「生命共同体」という言葉が意味するように、極めて情緒的である。同じ親から生まれた兄弟姉妹という感覚である。
私はこの言葉の中に、文在寅氏の「北朝鮮愛」の原点を見る思いがする。それは、文氏の両親が北朝鮮出身であり、米軍の北朝鮮撤退の際、米艦で韓国へ避難した結果、韓国で永住し文氏が生まれたのである。文氏の祖先は、北朝鮮を墳墓の地としている。
いつだったか、文氏が彼岸で両親の墓参りに行った際の遠景写真が掲載されたことがある。文氏が一人で遠い空を眺めている構図である。そこには、両親の墓をいずれ北朝鮮の祖先の墓へ返したいという思いが伝わってきたのである。
そういう人間的な自然な感情を否定するつもりはない。だが、南北の「生命共同体」は北朝鮮によって拒否されているのだ。文氏は、個人的な思いを優先して南北問題を扱う危険性に目覚めるべきである。