35年ローンは馬鹿げた選択
かつて建築批評家の布野修司氏は著書『住宅戦争』の中で、このように述べた。
住宅を手にすること、それは今のところ人生にとって、最大の事業である。住宅は人生で最大の買い物なのだ。住宅を買うために、その人生のほとんどの期間、ローンや家賃を払い続けるのである。人生のために住宅があるのではなく、住宅のために人生がある。全く転倒してしまっている。どこかおかしい。
出典:『住宅戦争―住まいの豊かさとは何か』(著:布野修司/刊:彰国社)
現在、住宅を買うのに35年ローンすらも当たり前になっているのだが、35年ローンが馬鹿げた選択であるのはもう10年以上も前から指摘されている。
35年もローンが組めるのは、サラリーマンが終身雇用であり、年功序列であり、不動産が上がっているという前提があるためだ。
今やそのすべての前提が崩壊してしまっている。それでも35年ローンを組むのは、自分の人生が35年間も風波が立たないという方向に賭けているということになる。
「消費して、使い捨てするものだ」という感覚に
現在の社会情勢を見渡すと誰も35年も淡々と生きられると思えない。まして現在のコスト削減を優先して作られた安普請の建物が35年も持つなど誰も考えていない。
「住宅のために人生がある」という本末転倒な生き方は、サラリーマンの終わりと共に消えていく現象であると言える。つまり、住宅は「所有するもの」ではなく、「消費するもの」「使い捨てするもの」になったのである。
買うのではなく、適当に借りて古くなったり都合が悪くなったら捨てて新しいところに移るというのが現実的になり、今後はその方向に向かって時代が動いていく。
つまり、住宅は所有するものではなく、「消費して、使い捨てするものだ」という感覚が当たり前になっていく。この感覚を加速させるのは、人口減による空室率の増加とそれに伴う家賃の引き下げだ。
空室率の増加は、いずれ家賃の引き下げを引き起こす。さらに不動産価格の低下も引き起こす。需要が減るのに供給が過剰だと資本主義の倫理に則って価格は下がる。
これから数十年に渡って空き家も空室も増えるなら、不動産を買わない方が得策だと誰もが思う。誰も不動産を欲しがらなくなると価値は下がる。