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「絶対にiPhoneが欲しい」中学生の娘にAndroidを与えるのは虐待かしつけか?私の考え=午堂登紀雄

他人と違う尊さ、他人と同じ気持ち悪さを知れ

それでもやはり、私は安易な同調はさせたくないので、ひとまずAndroidで説得に当たると思います。

むろん、これは私の価値観の押し付けに過ぎないとはわかっていますが、(良い意味で)「他人と違う」ことの尊さ、「他人と同じ」という気持ち悪さを、しっかり認識して欲しいと考えています。

私自身、幼少期の頃から親に「よそはよそ、ウチはウチ」と言われて育ちました。そのせいか昔から他人と同じことを敬遠する傾向があり、たとえばローラースケートが流行ったときも、皆が黒や青のスケートを履いていたため、自分はあえて黄色のスケートを選んだのを覚えています。

学生時代は学校という閉じた世界が生活の中心ですから、そこで仲間を作れないことは生存本能を脅かすことに等しい。だから友達と同じでいたいという気持ちはわかる。

しかし社会に出れば、人と同じことはほとんど価値を持たない。学校を出てからの人生の方が圧倒的に長いわけですから、誰かの真似や同調圧力に屈しながら生きて欲しくない。

他者の影響は受けたとしても、それらを自分の価値観で咀嚼し熟成させ、組み換え発展させ、本人の中からにじみ出てきたものこそ、個性でありオリジナルです。

自分の意見に根拠を持たせる

また、他人に流されて判断したことは、自分の頭で考えていないため検証できません。

検証できないことからは教訓も抽出できない。教訓が得られなければ次に活かせない。それでは自分の意思決定能力は向上しない。

たかがスマホですが、こういう小さな決断の積み重ねが人生を形成するわけですから、私は「みんなそうしているから」「〇〇ちゃんのウチではそうしているから」などという理由では却下します。

本人自身に「これこれこういう理由で必要である」「こうすることが自分にとって合理的であり幸福に寄与する」という判断の根拠をつねに持ってほしい。

だから、それでも「どうしてもiPhoneが欲しい」というなら、娘とディベート大会をします。

娘はiPhoneのメリットとその理由、Androidのデメリットとその理由を挙げるでしょう。私はAndroidのメリットとその理由、iPhoneのデメリットとその理由をプレゼンします。

次に娘は私のロジックに反証するでしょうし、私も娘のロジックに反証します。中学生にもなればそのくらいはできるでしょう。

判定するのは私ほか家族全員ですが、「かわいそうだから」などという理由はナシで、あくまでどちらに説得力があるかです。

それで皆が納得すればiPhoneを与えるでしょうし、そうでないなら却下、もしくは日を改めてディベートのやり直し。

そこまでやれば、最終的にiPhoneを与えることになったとしても、本人も自分にとって有効な使い方をしっかり実践してくれるのではないかと期待します。

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