間違っている理由その4:人間が存在しているのには意味がある
「人間のあらゆる感情は意味があるから起こっている」と述べたことと同じく、「地上に人間が存在するのも意味があるから」なのでしょう。必要がなければ人類など生まれてこなかったはずです。
たとえば、ゴキブリなんてただ歩いているだけで殺虫剤を吹きかけられますし、蚊はただ食事をしているだけなのに問答無用で叩き潰されます。こんな理不尽な生き方はないでしょう。
それでも、意味があるから存在しているわけです。
本当にサルから人間に進化したのか、あるいは突然ひょっこり人類が誕生したのかはわかりませんが、いまだ地球上には人類以外に高度な知能を持つ生命体は存在しない(存在したら戦争になりそうですが)。
むろん人間の存在が他の種を絶滅に追い込んだり、生態系を乱すこともあるわけですが、逆に知性があるからこそそれに気が付き、知性があるから防ごうとするわけです。ノラ猫がよそのネコに「ささっ、ここのおいしいところを先にガブっとやってください」と魚を分けることはしないでしょう(ライオンなどは序列があるようですが)。
だから人間には、ゴキブリや蚊のような理不尽な仕打ちを受けるのを防ぎ、なくそうという知性がある。苦しんでいる人がいれば救済する仕組みを作ろうとしている。だから人間はいまだ存在し続けるのでしょう。というわけで(?)いまのところ、人間の存在を否定できるのは「神様」ぐらいではないでしょうか(知らんけど)。
人類が文明を築き、社会活動が複雑化し、その中でいろいろな立場の人が生まれるのは必然であり、「苦しみから逃れる」というただ1点のために出生を否定するのは、かなり短絡的な発想のような気がします。
多くの人は、「苦しみを感じるくらいなら生まれない方がいい」とは感じないと思います。なぜなら、苦しいことだけで生が否定されるほど、人間の人生は浅くないし単純でもないことを本能的に悟っているからです。
「苦しみから逃れる」というメリットは、「人生を謳歌する」という巨大なメリットの前にはかすんでしまうのですから。
間違っている理由その5:「みんないなくなればいい」は思考停止
反出生主義は「存在しなければ幸福も不幸も感じないから何も問題はない」というのですが、これは究極の思考停止のように感じます。
なぜなら、何も考えなくていいからです。
生きていればいろんな問題に直面するわけですが、そのたびに私たちは考え、解決しようとします。しかし生きていなければ何も問題は起こらないので、考える必要はありません。こんなラクなことはないでしょう。
しかし私個人は、いろんな問題を乗り越えていくことで自分が成長する実感が得られるし、(精神的な)痛みを感じるからこそ、生きている感覚があります。もちろん本当に痛いのはイヤなので、虫歯治療に麻酔は必須です(笑)。
たとえば、私は交通事故に遭わないよう、仮に遭っても自分が不利にならないよう備えを万全にしています。先進の安全支援システム搭載の車を選び、前後ドライブレコーダーを付け、自動車保険には弁護士特約を付けて安全運転を心掛けています。死亡事故が多い川遊びもしないし、スカイダイビングも怖いのでやりません。首都直下型地震や富士山の噴火といった災害に備え、備蓄や避難場所の確認をしています。お金があればたいていの問題は解決できるので、いかに収入を増やすかに比重を置き、不動産や太陽光、株や仮想通貨などに投資しています。
そんなふうに苦しいとか痛みとかが予想されるなら「どうすれば避けられるか」を考えることも充実した時間だし、仮に直面しても乗り越える方法を考えるのもまた充実を感じられます。そうやって考えること、課題を設定し解決することは、私にとって重要かつ満ち足りた在りようで、毎年最高益を更新する自分を実感できる人生は楽しいと感じています。
しかし反出生主義者は、そういうことを考えることすら面倒なのかもしれません。