fbpx

誕生・出産を全否定する“反出生主義”が間違っている7つの理由。「なぜ貧乏なのに僕を産んだの?」にどう答えるか=午堂登紀雄

間違っている理由その6:子どもが欲しいのは親のエゴだが、産まないのもまたエゴである

「子どもが欲しいのは親のエゴだ」は確かにそのとおりですが、とはいえ、そもそも生物としての本能でもあり、これを否定すればすべての生物の存在を否定するということになるでしょう。ノラ猫だって他のネコとケンカして傷つくなど苦しい思いをしていると思いますが、それでも生きようとするからこそ命の尊さを感じます。野生動物のドキュメンタリー番組や映画が一定の市場規模があるのも、そういう理由もあるのだと思います。

それに、「子が不幸になる可能性を考えているのか」という意見ですが、幸福か不幸かは死の床を迎えて人生が終わるその日でなければわかりません。人生の前半で大活躍しても、後半で台無しになることもあります。あるいはケンタッキーフライドチキンの創業者、カーネル・サンダース氏のように、人生の最終コーナーで大逆転ということもあるわけです。

たとえば学校でいじめられている最中は、そのピンポイントを見れば不幸かもしれません。しかしそれを乗り越えて成長し幸福な最後を迎えられたとしたら、それは「あの頃があったから」というポジティブな評価になる場合もあるでしょう。すると、その人の人生にとって、その不幸(だと当時感じた出来事)は「その人の幸福のための必要悪だった」「その人が幸福を得るために克服すべき試練だった」と言えなくもありません。

確かに子どもが事故や病気、虐待に遭うということは現実にも起こっています。しかし、だから子を生まない方がいいというのは拡大解釈というか短絡的過ぎで、逆に「どうすれば防げるか」「起こったときに救う方法」を考える方が、社会全体からすれば効率的でしょう。

飛行機事故が起こるから飛行機なんて作らない方がいいとはならないように、全否定ではなく対策を考えることこそ「知性」でしょう(まあ、現実には「原発事故が起きるから原発はなくせ」という意見は多いですが)。

人生を楽しむのは自由。同じエゴなら「子を産むエゴ」を選びたい

もうひとつ、私は子が「自分の人生を自ら切り開くという醍醐味」を、親のエゴで奪いたくないと考えています。たとえば、子に財産を遺すのは親のエゴですが、逆に私のエゴは「遺すと考える力を奪う」と考えて財産は遺さないつもりです。

同様に「産まない」のも親のエゴなわけですが、同じエゴなら私は産む方を選びたいです(あ、私は男なので産めませんから「子を持つ」でしょうか)。

なぜなら、資産も人脈も能力も何もないゼロから切り開き、何かを成し遂げるという醍醐味は、生きていればこそ味わえるわけで、これは本当に素晴らしいことだと思っています(私自身が無職・貧困から成り上がっただけに、おそらく生存者バイアスがあるとは思います)。

Next: 子どもに「産んでくれと頼んだ覚えはない!」と言われたら?

1 2 3 4 5 6
いま読まれてます

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

MONEY VOICEの最新情報をお届けします。

この記事が気に入ったらXでMONEY VOICEをフォロー