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「生まれて後悔」若者急増のなぜ。反出生主義者が嫌悪する“リアル人生ゲーム”の悦び、ダイスを転がす意義をあらためて考えた=午堂登紀雄

反出生主義者の特徴その4:環境は誰かから与えられるものだと思っている

「おまえは生まれてくる子どもが不幸にならない保証ができるのか?できないなら無責任だ」などという意見もありました。

そんなふうに誰かに幸せにしてもらいたい。守られていたい。強固な他力本願。自分の人生なのに、他人からの保証を求めるという、徹底的に受け身で依存的な傾向があります。

そうやって「与えてもらう」という発想だから、全身に被害者意が浸透してしまう。それでイヤなことがあると、自分は被害者であると叫ぶ。自分は悪くない、悪いのは周囲だ、もっというと自分を産んだ親だ。という他責の思想になるわけです。

「頼んでもいないのに子に人生を強要しているエゴ」「勝手に産んで勝手に苦痛の人生を歩ませる身勝手」という意見もやはり、「自分は強要されている」「苦痛を味あわされている」という被害者的発想が根底にあるからでしょう。

それはつまり「主体性の欠如」「自己責任意識の欠如」です。

これも若者に特有の思考パターンで、それも仕方がないのです。自分で環境を変えたり自分で選んだり、自分の力で掴み取ったという経験が少ないからです。

子どもはイヤだと思っても当たり前のように学校に行かされます。制服も文房具も与えられます。自分のお小遣いで買ったといっても、そのお小遣いも親からもらったもの。学校の学費も親が出している。進学で一人暮らしをしても、学生なら家賃ぐらいは親が払っているでしょう。すべて大人から守られていて、大人が作った枠組みの中だけで生きている。人間関係も自分で選んだわけではなく、たまたま同じ年に生まれ、たまたま同じ地域に住んでいたとか同じくらいの学力だったとか、たまたま偶然そこに集まった人たちの集団です。だから自分とは違う人がいるわけですが、合わない人とでも「仲良くしなさい」などと無茶を言われる。

そうやって与えられ、自分の自由意志があまり通らない環境にいるので、「自分の環境は誰かから与えられていて、そのなかでもがいているけどうまくいかない。それは自分のせいではない。親や先生や大人や社会が悪いんだ」という発想になっても仕方がない側面があります。自分の力で自分の環境を変えた経験がないですから、そういう選択肢があることすら想像できない。変えられないから不運だと嘆いてしまう。

私も高校まで実家暮らしで、高校は自転車で片道50分くらいかけて通っていました。遠いなとは思いましたが、当時「住む場所を変えることができる」という発想はまるでありませんでした。自分の意志で「学校を変える」ことができるなどとも思ったことはなかった。

しかし社会に出てみると、不満や不利な状況があれば、自分の意志で環境は変えられるということがわかり、自分の世界がいかに小さかったかを理解するようになりました。

やはり「自分の意志で選ぶ」「自己責任で判断する」という経験が必要ですが、これは社会に出てみないとなかなか理解できるものではないのかもしれません。

反出生主義者の特徴その5:思い込み・固定観念が強い

反出生主義者は、「世の中は苦痛で満ちている」「苦痛があるのはいけないことだ」という強い思い込みがあります。

それも仕方がないことなのかもしれません。若い彼らは、それまでの短い人生のほとんどを「やらされて」生きてきたからです。勉強したくないのにさせられる。運動なんてイヤなのに走らされる。塾に生かされる、受験も進学もしたくないのにさせられる。これは大人でも同じく、やらされ仕事は面白くないですよね。やはり自分から手を挙げて自ら創り出した仕事は、嬉々としてやるものです。

前述の「自発的に自分の意志で決めてきた」という経験が少ないこと、受け身で生きていて、自分で何かを成したことがほとんどない。また、「人の役に立った」「人から感謝された」という貢献実感を得られた経験が少ないという点もあると思います。

「わあ、ありがとう!」「あなたのおかげです!」「助かりました!」という周囲からの声は、「自分はここにいていいんだ」という所属欲求が満たされますが、そういう経験が少ない。ほかにも、部活などでチームメイトと苦楽を共にする経験がない、悩みを打ち明けられる友人がいない、恋人がいないなどで、人間が持つ様々な感情の経験値が圧倒的に低い。

一方で、イヤなことは明確に認識できる。だからその感情が絶対だという発想になってしまう。彼らはさらに「どんなにいいことがあっても、苦痛が1つでもあったらダメだ」とこだわります。
これもやはり、自分が何かに打ち込み、壁にぶつかり、それを乗り越えて成長したという経験とその実感に乏しいからでしょう。

しかしこれも、若さゆえに仕方がない側面があります。たとえば、会社のプロジェクトに抜擢された。しかし、深夜までの残業が続いたり、メンバー間の確執があったり、仕様にバグがあったり、役員プレゼンでダメ出しを食らったり、しんどかった。正直、辞めたいと思ったことが何度もある。

それでも何とかいいものにしようとがんばったら、ようやく役員からOKをもらった。取引先に提案したらすごく喜ばれ、ついに採用された。苦労はあったけれど、すっごく充実している。わだかまりがあったメンバーとも、いまはねぎらい合えるまで関係が良くなった。仕事したなーという感じ。

こういう達成感や充足感は、学生や新卒程度ではなかなか味わえないと思います(むろん、学園祭や体育祭などでそういう体験ができる人もいますが、ほんの一握り)。仮にそういうチャンスがあったとしても、彼らは腰が引けて手を挙げない。だからこそ苦痛をより巨大に感じ、苦痛が1つでもあるとすべてダメ、という発想になってしまう。

また、彼らは世の中を「加害者と被害者」「倫理的に正しいか正しくないか」などという二項対立で捉える傾向があるのですが、これは抽象的思考が苦手な人が陥りやすい発想で、これもやはり10代・20代といった若者特有です。

子どもは抽象的思考力がまだ発達しておらず、「具体」でしか物事を認識できません。だからはっきり白黒つけたがる。そのため、たとえば「善か悪か」「正しいか間違っているか」という単純な発想をしがちです(もちろんこういう人は大人でも多いですね)。そのため、「こういう例がありますよ」と紹介しても、「それは自分には当てはまらない」「そうじゃない人もいる」などと具体に引きずられて俯瞰できない。

さらに抽象的思考の1つの例として「自分の人生の構想を描くこと」が挙げられますが、反出生主義者はこういう発想が苦手です。だから目の前の具体的な出来事で、感情が左右されてしまう。

「自分はどのような人生の展開を望んでいて、そのために必要なことは何か」という具体と抽象の往復をつねに繰り返す必要があります。しかし、職業や社会のことをよく知らない若者には難しい話で、これも仕方がないことなのでしょう。

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