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「生まれて後悔」若者急増のなぜ。反出生主義者が嫌悪する“リアル人生ゲーム”の悦び、ダイスを転がす意義をあらためて考えた=午堂登紀雄

反出生主義者の特徴その2:打ち込めるものがない(不完全燃焼感と焦り)

これはひとつの仮説ですが、反出生主義者は、「打ち込めるもの、夢中になれるものがなく、その不完全燃焼感にイラ立っている」「やりたいことがわからないことへの焦り」があるのではないか、と私は考えています。

たとえば「志望校合格に向けて受験勉強に打ち込んでいる」「夏の大会を目指して練習に打ち込んでいる」という人が、「生まれてこなければよかった」などとは考えないでしょう。

人は夢中になれるものがあると、希望を見出すことができます。それは自分への挑戦だったり記録への挑戦だったりしますが、抽象的な表現を使うと「自分とつながっている一体感覚」であり、これは充足感につながり、自尊感情を呼び起こしてくれます。

そこでたとえば努力が嫌いという人には何かに「挑戦」することをおススメしています。なぜなら、挑戦しているときは人は努力しているとは感じないものだからです。すると「挑戦そのものが嫌い」という答えが返ってくるのですが、挑戦とは「自分がやる価値がある、やりがいを感じる」対象に向かうことです。よほど必要性が高い理由やメリットがなければ、嫌いなことにあえて飛び込んだりはしないですよね。

しかし反出生主義者は、それに対しても無気力なようです。

それも仕方ないことなのかもしれません。何かに打ち込んできたことがないから、没頭して得られる充足感がわからないからです。何かに挑戦したことがないのに、「挑戦も嫌い」「挑戦を楽しめなかったらどうするのか」などと言います。これは自分への防御反応のひとつだと思いますが、意地でも前向きな方向を徹底的に否定するのは、やはり自己肯定感の低さでしょう。

ただし「やりたいことがない」「やりたいことがわからない」というのは悲観するような材料ではありません。大人でも好きなことを仕事にしている人は少数派だし、やりたいことだけやって生きられるほど単純でもない。やりたいことなんてそう簡単にわかるものではないのです。「中学から医者になると決めていた」などという人はレアケースで、私自身も就職や転職や起業などいろいろやってはあきらめ、方向を変え、フラフラしながら生きてきました。

でも、だからといって何もしなければあとあと不利になる。やりたいことがないなら、自分がいまやるべきこと、たとえば勉強なり仕事なり、「それは必要なことだから自分が責任を持ってやる」というぐらいのノリでいいと思います。

反出生主義者の特徴その3:自分の苦しさの明確な理由を言語化できていない

また、彼らは、本人の生きづらさの原因を特定できておらず、だから解決策も見つからない、だからどうしようもない、生きていてもつらい、というネガティブなループに陥っているのではないかと推測します。

そして、それを言語化できていない。「勉強が嫌い、嫌いなことはやりたくない」だから苦しいという人も、なぜ嫌いなのか、どうすれば嫌いでなくなるのか、考えたこともないし考えようともしない。自己肯定感の低さの裏返しで過剰な自己愛に満ちていることから、ちょっとでもイヤだ、苦しい、つらいと感じる場面の直面したら、とにかくそこから逃げ出したくなる。言語化ができず、じっくり考えられないから「全否定」という極論に走ってしまうのでしょう。

よくある「クソ記事」という批判(というか難癖?)が典型例で、何がどうクソなのかすら考えていないから説明もできない。ただムカつくから感情で反発しているだけです。

「お前が言っていることはおかしい」「読む価値がない」「お前は何もわかっていない」などと、ただ相手を否定するだけで、本人は「自説をより強化するような根拠ある論理展開」ができない。論理的に考えていないから、意見と人格とを区別できず、自分の意見が否定されると自分の人格を否定されたかのように感じ、感情的に反発するしかない。

それで余計に思うのです。ツイッターのような140文字の中ではなく、ブログやメルマガなどでしっかり自分の意見や主義主張を展開することが重要であると。最初は愚痴や不満の吐き出しでもいい。自分の考えを脳内から引き剥がし、文字という現実世界に落としていく。それは自分の偏った考えを客観視し、やがては論理的思考力を高め、より自信が持てる考え、自信が持てる生き方につながるんだと。

むろん、時には独りよがりになることもあると思います。私の主張なんて、独りよがりそのものですし(笑)。それでもいいのです。他人に押し付けたり、特定の対象を誹謗中傷などしなければ、それは自分内部のこと。そして仮に独りよがりでも、「だからこう考える」という根拠を集めていく作業を惜しまなければ、様々に直面する状況でも、自分が納得できる判断につながります。

私のコラムや書籍を押しつけのように感じる人もいるかもしれませんが、私は「するべき」「しなければならない」という表現は極力避け、「おススメ」「必要だと思う」「してみてはどうでしょうか」という提案レベルにとどめるようにしています。処方箋は提示しますが、判断はあくまで読者であると、読者の意志を尊重するからです。

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