fbpx

「生まれて後悔」若者急増のなぜ。反出生主義者が嫌悪する“リアル人生ゲーム”の悦び、ダイスを転がす意義をあらためて考えた=午堂登紀雄

反出生主義者の特徴その6:人からどう思われるかを過剰に気にしている

冒頭の自己肯定感が低いことによる1つの問題は、「他人からどう思われるかを過剰に気にしている」「なのにプライドが高い」こと。そして彼らは、あるべき姿に対して強すぎる想念というか、強固な固定観念に縛られています。

たとえば、勉強ができなければならない、運動ができなければならない、友達は多くなければならない、容姿が優れていなければならない、尊敬される人気者でなければならない、モテなければならない、コミュニケーション上手でなければならない、何でもスマートにこなせなければならない、苦手なことにも立ち向かわないといけない、周囲の期待に応えなければならない。そういった思いが強烈なのです。おそらくマジメなのでしょう。

でも現実はそうではない。だから理想とは違う自分に幻滅してしまう。どうにかなるとも思えない。それはそうです。そもそもその、「〇〇でなければならない」「〇〇すべき」というのが勝手な思い込みなのですから。他人の価値観に引きずられた価値観なのですから。

それらは本人の周囲の人が勝手に言っているだけ。そして本人がそういうノイズに洗脳されているだけ。たとえば「孤独死はみじめだ。だから孤独死を防がないといけない」という主張があります。でも本当にそうでしょうか?亡くなった本人は実は満足してこの世を去ったのかもしれないのに?むろん、寂しさと無念の中で孤独に亡くなる人もいるとは思います。遺品整理や特殊清掃の仕事をしている人の話を聞くと壮絶なケースもあるようですが、全員ではないでしょう。

実際はそう言っているその人が「人は家族などに見守られながら死ぬべきだ」という固定観念に縛られていて、「だから孤独死はかわいそう」などと感じているだけです。1人で死ぬことが最初からみじめとかかわいそうなどと決まっているわけではない。

結局、生きている外野の価値観で勝手に意味付けしていることがほとんど。だからまずは自分の思い込みや固定観念に気づき、それを外すこと。周囲の凡人たちの洗脳支配から逃れること。完璧な人間を目指さないこと。自己愛の基準をもっと下げることです。

勉強ができない人はいっぱいいますが、では彼らが全員不幸かというとそうではないでしょう。勉強ができないなら、できなくても許される環境を探せばいい。そもそも社会に出たら学力も偏差値も関係ない。学歴で影響を受けるのは新卒のときぐらいで、そのあとは完全な実力勝負。かけっこが速くても、社会に出れば1円にもならない。友達なんていなくても何も困ることはない。モテないことはそんなに悲惨なのか。モテるのは気分がいいけれど、ただそれだけ。20代後半になれば1人だけからモテればいいし、結婚すればモテることはかえってリスクになる。

大人になると、人間を評価する指標が増えて複雑になり、容姿の美醜という評価の重要性は大きく下がるから、悩むほどではなくなる。そんなにイヤならお金を貯めて整形すればいい。全員が陽気で人気者だったら、騒がしくてしょうがない。私も陰キャで人見知りの引っ込み思案ですが、問題なく生きられる。

「できること」「できないこと」は人によって違う。できないことや足りないことに注目して卑屈になるのではなく、自分ができることにフォーカスし、そこを伸ばしていけばいい。人は周囲の期待に応えるために存在するわけではなく、自分が納得する人生を歩めばいいのですから。

反出生主義者の特徴その7:不幸に敏感で、幸福に鈍感

反出生主義者は「世の中は苦痛だらけ」「生きていれば絶対に苦痛がある」などというのですが、実は他人から見れば、「別に何不自由なく暮らしている普通の人」だったりします。

ツイッターに書き込んでくるくらいですから、スマホくらいは持っている。病院にも行けるしコンビニでおにぎりも買える。自殺願望があるわけでもなく、環境的には普通に恵まれている。でも、彼らは苦痛と不安と不満と怒りに満ちている。

おそらく不幸に敏感で、幸福に鈍感なのでしょう。

自分の身の回りにほんのりと浮かぶ小さな幸福の数々に、目を向ける精神的な余裕がない。上昇する水面から顔を出してあっぷあっぷしているようなもので、精神的に追い詰められていて(というか誰も追い詰めていないのに、自分で自分を勝手に追い詰めている)、周囲への感謝、満たされていること、日常の幸福に気づかない。そういう感受性を失っている。

そして、普通の人が「1」つらいと思うことを、自分で勝手に重石を追加して「10」つらいように仕向けている。誰も頼んでいないし、誰からも頼まれていないに、よりつらく受け止めている。つまり、自分で自分をつらい方へ追いやっている。それで「人生は苦痛だらけ」と悲観している。

問題は、物事を悲観的に捉える本人の思考のクセなのですが、そこに気が付かない。気がつけない(気づきたくもない?)。自分が実はどんなに恵まれているのかは、生まれたときからあるから空気のようなものだから、その存在に気づかない。「当たり前」だと思っているから感謝もしない。

そこで一度、「自分が得られている、当たり前の幸福」を見つめ直してみることです。1日3食ごはんが食べられることは幸せ。学校に行けることは幸せ。スマホを持てることは幸せ。病気になったら病院に行けることは幸せ。戦争や内戦が起こらないことは幸せ。電車が時間通りに動くことは幸せ。タクシーに乗って料金をぼったくられないことは幸せ。水道水がそのまま飲めることは幸せ。パスポートを持てることは幸せ。トイレットペーパーが使えることは幸せ。毎日お風呂に入れることは幸せ。電気ガス水道がほとんど止まらないことは幸せ……これらが当たり前でない国もあるのですから。

そして、日常の小さなことに対して「ありがとう」と言ってみる。反出生主義者は社会を敵視し、他人や周囲に感謝の気持ちをあまり持たない印象ですが、意識して「ありがとう」を口にするようにすると、実は世の中は、自分が思っているほど悪意だけらけではなく、むしろ善意に満ちていることに気が付くのではないでしょうか。

ただ、反出生主義者は前向きな解釈が苦手で、物事をネガティブに受け止めたくて仕方がないようですが。

Next: 変わらないのではなく「変えたくない」?人生は自分次第で好転する

1 2 3 4 5 6 7 8
いま読まれてます

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

MONEY VOICEの最新情報をお届けします。

この記事が気に入ったらXでMONEY VOICEをフォロー