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「生まれて後悔」若者急増のなぜ。反出生主義者が嫌悪する“リアル人生ゲーム”の悦び、ダイスを転がす意義をあらためて考えた=午堂登紀雄

反出生主義者の特徴その8:自分の主義主張にしがみついている

「自分の考えは変わらない」という人もいましたが、変わらないのではなく「変えたくない」のでしょう。なぜなら、変えることは、それまでの自分の考えを否定することになるからです。

それは、今までの苦労はなんだったんだ、これまで悩んできた自分はなんだったんだと、自分が悩んできた時間が無意味になるような気がする。自分の思いや存在が軽くあしらわれてしまうような、自分の価値観や人格までも否定されるような耐え難い屈辱であり、到底受け入れられない。だから意固地になって反発するしかない。もはやプライドが邪魔してしまっている。こういう人は大人でもいますよね。もはや理屈ではなく「意地」です。

自分の考えに頑なにしがみつき、他人の話に耳を貸さない。「それはできない」「それはしたくない」「そう考えたくない」……自分とは違う考えを徹底的に拒否する姿勢は「学習できない人」の典型例ですが、問題はそれが「本人の意志で選んだ生き方」なのに、「苦痛だ」などと不満をこぼしている点です。

苦痛であるならその苦痛を解消できるように、あるいは苦痛を感じずに済むような発想に転換すればいいはずですが、それはしたくない。かといって他人のアドバイスを受け入れるのは、どこか自分が負けたかのように感じてしまい、それもイヤ。苦痛はイヤなのに、そこから抜け出すのはもっとイヤ、という矛盾を抱えてしまっているのですが、本人はそれすら気が付かない。

まあ、私も他人の話に耳を貸さない方ですが、それは、その他人よりも自由で楽しく生きているから、相手の話を取り入れる必然性がないからです(むろん、もっと自由で儲かって楽しいというアイデアには興味津々で話を聞きます)。

それにしても「自分を絶対に曲げない」といのは、実は非常にもろい。環境変化や状況の変化に適応できないからです。しがみつくからこそ、そうではない周囲との乖離が大きくなり、苦しさから逃れられない。

「一貫性」とか「ブレない」というのは、これからの時代は息苦しくなるだけです。時代環境に応じて自分の考えを変えていく、そういう柔軟性を身に着けることこそ、この不確実で窮屈な世界を軽やかに生きていくコツの1つではないかと思います。つまり「節操なく生きていい」のです。

そして、「こんな自分ではいけない」「こんな世界はおかしい」などと逆らうのではなく、流されて生きればいい。どうせ行きつく先は全員「老後」「余生」なんですから。「これは苦痛だ」「これはしんどい」という物事の見方をやめて、「しょーがねーから勉強してやるか」「しょーがねーから進学するか」「しょーがねーから就職するか」などと「必要だからしょうがない」と抵抗することをあきらめ、淡々と生きる方が気持ちはラクではないでしょうか。

反出生主義者の特徴その9:思考の時間軸が短く、心の成長が見えていない

反出生主義者はいま生きづらさや苦痛を抱えているから全人生を否定したいわけですが、これは「今しか見えておらず、今がすべて」という、若さゆえのナイーブな心理状態が見て取れます。そういえば私も子どもの頃、学校でイヤなイベントがある前日、「学校に隕石が落ちないかなあ」などと夢想したことがありましたよ(笑)。

しかしそれは、思考の時間軸があまりにも短すぎるから。本人がいま20歳なら、人生はあと70年くらいもあるわけで、状況が変われば考え方も価値観も変わる可能性があるのに、そこに想像が及んでいない。人生全体の数分の1しか生きていないのに、人生全てを評価することはできないはずですが、今しか見えないから、その視座で評価を下してしまう。自分の考えが変わる可能性から目を背けていると、視野まで狭くなります。

実際、「若い頃は反出生主義だったけど、好きな人ができて結婚し、自分の愛する人が子を欲しがるようになったらその主義も変わった」という話を聞いたことがあります。

しかし、経験していないから想像できない。自分の考えや価値観が変わることも想像できない。だから今の心理状態にロックインされてしまう。それもまた若さゆえで仕方がない。ひとつ言えるのは、「つらいことがあっても結構なんとかなるものだ」という現実と、自分の心が成長すれば、物事の受け止め方が変わるのだと信じることでしょうか。あるいはもっと成熟した大人との接点を増やしてみるとか。

たとえば、いまの私には悩みなどなく、社会の閉塞感や生きづらさといったものもまったく感じません。コロナで多くの人が自粛生活を余儀なくされていますが、私はそんなのは気にせず、普通に外出しています。私にとって、人生は楽勝、未来はとんでもなく明るく、毎日が楽しくて仕方ありません。なんと素晴らしい時代だろうと感じています。

そんなふうに今はお気楽な考えの持ち主ですが、もちろんこれまで無風で生きてきたわけではありません。たとえば、こういう経験があります。

・中学生の頃、顔がニキビだらけで恥ずかしかった
・暴力教師に殴られていたことがある
・バレーボール強豪高校へ進学したいと思ったが、才能はないとあきらめた
・父親と進路への意見が合わず、高校を卒業して家を出るまで確執状態が続いていた
・学費援助も仕送りもなく、奨学金とバイトで進学したため、極貧の学生時代だった
・大学がつまらなく行くのがイヤになって学費を払わず除籍寸前になった
・日本の公認会計士を目指したが、試験直前で心が折れ不合格になった
・付き合っていた彼女にフラれて自暴自棄になったことがある
・大卒時に就職が決まらず、半年間フリーターだった
・最初に就職した会社でミスばかりして叱責攻撃を受け、ウツ寸前になった
・その会社も結局クビ同然で自主退職することになった
・外資コンサルでは朝9時~深夜3時まで土日祝祭日もなく360日働いた
・離婚したことがある
・裁判で訴えられたことがある
・作った会社のうち3社を役員間のトラブルで廃業した
・従業員の集団退職に遭った
・経営していた会社の資金繰りが悪化し最後は空中分解した
・株主と事業方針をめぐってトラブルになった
・税務調査が入り、500万円以上の追徴課税を受けた
・再婚してできた子どもは発達障害だった

ね、結構グダグダな人間でしょう?(笑)。それでも、お気楽に生きられるんです。

こうやって書けばそれなりに波乱があり、それなりにしんどい思いもしたなあとは思いますが、あとになって「どうでもいいことだった」「なんであんなことでクヨクヨしていたんだろう」などと思えることもまた多いものです。

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