fbpx

少子化の原因は「最低でも大卒」という親世代にかかった“呪い”。三流大学に通うのは才能の無駄遣いだ=午堂登紀雄

一方通行の授業しかしない大学に行く価値はない

ただし、これは大学に限らず日本の教育全般に言えそうですが、「生身の人間が一堂に会しているからこそ意味のある授業とはどうあるべきか」という発想で授業の組み立てを考えている教育者は、一部の私立や超難関校などを除き、多くないのではないでしょうか(義務教育段階では人手不足で時間がないという理由もあるかもですが)。

学ぶスタイルが高校までの延長線上で、誰かが作った理論をなぞるだけの受け身の姿勢では成長はない。当時はインターネットもスマホもなかったため限界がありましたが、たとえば全学部・学科の講義動画をサーバーに格納し、学部学科に関係なくすべての学生に無料開放していつでもどこでも自習できるようにする。つまり単純なインプット作業は自学自習が原則。講義動画は学生からの評価ランキングをつけて下位のものは削除・更新していく。

そして一方通行的な授業を廃止し、学校は討論・ゼミ・研究・実験など「人が集まることで価値が出る」「学校の施設を活用してこそ意味がある」内容に限定した方が教育的効果が高いような気がします(そういえばコロナでオンラインになった授業の様子をニュースで見たことがありますが、あんなのまったく意味がなく動画で十分だと感じました)。

また、大学のスタッフにはイノベーティブな気質を持つ人が従事してこそ人材開発ひいては国益につながるはずですが、大学教授は社会人経験がない人も少なくなく、利権維持などもあり人材の流動性も低いのでしょう(知らんけど)。一部の危機感が強い大学を除き、高度な人材を育成する機関とは思えない学校も少なくない(むろん「研究」という領域の意義は理解していますが)。大学のキャリア支援も「就職」つまり「誰かに雇われる」道にほぼ限定されているなど、キャリア開発という側面でも疑問がある。

そう考えれば現行制度の、親の所得が低ければもらえる給付型奨学金や、よほどのことがなければ借りられる貸与型奨学金は、そういう三流大学を生きながらえさせるための制度のように思え、だから私は大学の無償化には反対で、無償化の対象は勉学への意欲と適性が高い成績優秀者に限定したほうがいいという考えです。

高校より後の高等教育は福祉事業ではないのですから、国民の税金を投入するなら費用対効果が高い可能性のある人を対象にしないと、三流大から三流人材を輩出するだけのムダ金になりかねないでしょう。

思考習慣・思考力が何より重要

もちろん、18歳という社会のことをあまり知らない段階で、就職や専門学校といった具体的な職業を選択するのは確かに難しい側面はあると思います。なので大学の4年間が自分の適性や方向性をじっくり見極められる機会になるという側面があることも否定しない。私自身も大学に落胆したのち、会計士という道を無理やりにでも見つけられましたから(結局はこれも適性がありませんでしたが)。

しかし、一流大でも三流大でも高卒でも中卒でも、つねに「それは本当か?」「それはなぜなのか?」「もっと良い方法はないか?」「本質的な課題は何か?」「どうすればこの問題を解決できるか?」「自分のキャリアと人生はどうあるべきか?」といったことを365日考え続ける思考習慣を持つ人が抜きん出ていき、知的に怠惰な人は学歴に関係なく落ちこぼれていくのだろうと思います。

なぜそう思うかというと、外資コンサルで中途採用の面接をする機会が増え、さらに起業して自分が人を雇う側になっていろんな人と接してきて、一流大卒でも適切な思考習慣や思考体系が伴わなければ、誰であろうとポンコツになるな、という経験をしてきたことが挙げられます(もちろん前述の通り基礎学力は重要であり、だからといって勉強しなくていい理由にはならないし、一般論として一流大卒は優秀な人が多いです)。

それで冒頭の「自分の子の世代の方がよりしんどい環境になっている」の話に戻るのですが、社会保障制度を中心に、子どもたちの世代は「良きサラリーマンこそワリを食う」可能性が高いのではと推測しています。

ゆえに根源的な思考力が鍛えられる場、ほかにはない貴重な経験が得られる場、子の成長や鍛錬に貢献する場でないなら、高い学費を出し(あるいは奨学金を借り)て進学する意味はなく、いったんは中3で方向性の見切り、つまり進学高校経由で難関大を目指すか、そうでないなら高校から起業し高卒でひとり立ちさせる(あるいは海外留学?)ほうがよかろうというのが現時点での私の考えです。

もちろん本人の希望を尊重しつつではありますが、その場合も「なんとなく進学」にならないよう、漫画「ベイビーステップ」のアニメ「決意のプレゼン」回ではありませんが、親を説得できるだけのプレゼンをさせようと思っています。

そのプレゼン内容を考える過程で、自分の資質・適性やその先の職業選択、そしてその道で本当に食べていけそうなのかなど調べて想像力を働かせ、進学の意味と価値、そのためにどういう姿勢で過ごすべきかといったことに真剣に向き合うのではないかと思うからです。

あ、念を押しておきますが、これらはすべて私の主観であって、それを他人に押し付けるつもりは一切ありません。私は他人の人生に責任など持てないですから、「こうしろ」「こうすべき」などとは言わない。そんなの余計なお世話でしょうし、私も他人の世話などしない。各家庭、各保護者それぞれにいろんな考えがあり、これは単にわが家の場合であり、もっというと「私の偏見」です。

なので、「自分はそうは思わない」と感じたとしても、その人にとってはそれでいい。Fラン・BFでもいいから大学に行ってほしいという考えを否定はしません。そもそも教育や子育てに正解はなく、わが家の場合も私のエゴによる壮大な人体実験のようなもので、自分の子すらどうなるかはわからない。自分と子は親子であっても明確に別人格の人間なのですから。

それでも1人でも多くの人にこの「呪い」に気づいてもらい、呪いから解放される人を増やし、少子化を止めるブレーキの一助になればと思っています。

Next: 人間の価値は学業・進学だけにあらず

1 2 3 4 5 6 7 8 9
いま読まれてます

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

MONEY VOICEの最新情報をお届けします。

この記事が気に入ったらXでMONEY VOICEをフォロー