あなたの「合理的判断」は、自分で思うより遙かに直感に頼っている
行動ファイナンスで明らかにされる人間の非合理性は、経験的に見れば納得しやすいものが多いと思います。
たとえば、何らかのプレゼンテーションを受けたとして、多くの場合、プレゼンの内容よりも、説明者の印象やプレゼン資料の見栄えによって意思決定が大きく左右されます。「人は見た目が9割」というわけですね。
行動ファイナンスは、このように今まで経験論で語られてきた内容を、体系的に捉えようという試みといえます。
一方で、「人は合理的思考力を持つ特別な生き物」という見方も、多くの人がとくに疑問もなく感じていることだと思います。人が不合理な判断を下すとき、その合理的思考力は、いったいどこで何をしているのでしょうか。
この合理的思考力は、多くの場合、「見た目」で直感的に下した判断を正当化するために使われるのです。直感的な印象が良くないプレゼンの場合は、「あのプレゼンテーターには熱意が感じられない」とか、「細かい点がきちんと詰められていない」とか、提案を却下する理由をいくつもひねり出してきます。
一方で、好印象を持ったプレゼンに対しては、内容的に粗があったとしても、「熱意がある」とか、「細かい点は詰められていないが、改善の余地がある」とか、自分がいい印象を抱いたことを正当化しようとするわけです。
もちろん、人間は、客観的な観点で、冷静かつ合理的にモノゴトを創造的に突き詰めていくことだってできます。地動説や相対性理論、量子力学なども、「そんなことあるはずがない」という直感的な印象を排除して、徹底して合理的に思考した結果に生まれたものです。
でも、行動ファイナンスが示唆しているのは、人間がそうした合理的思考力をいかんなく発揮できるのは非常に限られた状況においてのみであって、意思決定のかなりの部分は、直感的な判断に頼っているということです。
しかも、利害が絡んだり、精神的にプレッシャーがかかる環境の下で意思決定を迫られる場合に、その傾向は非常に強くなります。