「つながり=素晴らしいもの」という洗脳
自由で平等な社会は、私たちが生きている間どころか、100年たっても1000年経っても絶対に実現しない。「人々は異なり、社会は異なり、国は異なる」のである。だから対立と衝突で満ち溢れ、それは是正されることができない。
インターネット時代になって情報が広く拡散される時代になってから、むしろこうした対立構造はますます先鋭化して過激さを増している。それは当然のことだ。
インターネットは個人の発信力を極限まで高め、人々を効率的に結びつけたからだ。「人々が効率的に結びつく」というのは、異なる思想信条、異なる社会、異なる世界に生きている人間が分け隔てなく結びつくということなのだ。
特にフェイスブックやツイッターのようなSNSは、誰でも誰かに絡めるという点で、「結びつき」を極限まで効率化されたシステムであると言える。だから、これらのSNSでは対立と衝突と矛盾と不正が醜悪な形でぶつかり合う場と化した。
対立は簡単に起こり、憎悪は簡単に拡散し、暴力の温床となっていく。
SNSが平和の場などと思っている人は、もうとっくの昔に消え去った。どのSNSも極端な思想信条のプロパガンダを垂れ流す拡声器となっており、主張する人間と反対する人間の罵詈雑言が飛び交う言論暴力の場となっている。
もちろん、健全で有意義なつながりや対話もあるのだが、そういった健全さが吹き飛ぶような誹謗中傷が凄まじく飛び交ってしまっている。
「人々を結びつける」「人々をつなげる」「人々を混ぜる」ということに対して、実はそれこそが社会を混乱させる大きな要因であるということを主張する人がまだ出てこないというのは異常だ。
「下手に結びつくな」「下手につなげるな」「下手に混ぜるな」という解決を誰も言い出さないのは、だれもが「つながり=素晴らしいもの」という洗脳に毒されているからではないのか。
それこそが悪質で非現実的な思考なのである。
「いつでも検閲・排除される」のが現実
フェイスブックやツイッター等のSNS各社は、対立と衝突と誹謗中傷を何とか押さえ込んで、自社サービスを何とか「健全な場」にしようと努力しているのだが、これは想像以上に難しい。
なぜなら、個人の思想信条のどれを「健全」で、どれを「不健全」にするのかという判断には100%正解がないからだ。
私のコンテンツも、様々なプロバイダーから問答無用で「検閲・排除」されてきたし、グーグルでは2度アカウントを失い、ツイッターは1度「凍結」された経験もある。
そのため、最初から社会やインターネットに自由な言論や表現があるとはまったく考えていないし、そんなものが公正に守られるとも思っていない。「日本には表現の自由がある」とか聞いたら苦笑いしか出てこない。
日本でも、「誰か」が都合が悪いと考えた表現は「いつでも検閲・排除される」のが現実なのだ。