「FIRE」が目的になると、ケチケチ生活になってしまう
「FIRE」を目指すことの問題点のもう1つは、収入を増やす努力よりも、ケチケチ生活への努力の方へウェイトが重くなりやすい点です。
無理せず貯蓄ができるほどの収入があれば、自然体で貯蓄ができます。しかし、それだけの収入がない人は、相当なケチケチ生活が必要です。
「20代から節約貯金」の人生を送り、リタイアしたあとも同じような生活を送っているようで、月25万円程度の配当収入では、やはりケチケチ生活を送らざるをえず、やれることにも限界があるでしょう(まあ、地方で半分自給自足のような感じなら、それでも十分かもしれませんが)。
さらに配当が何十年も安定しているとは限りませんし、将来は恐慌など暴落局面も来るかもしれません。
その際に元本を取り崩すようなことになれば、いろいろ計画が狂うし、不安にもなるでしょう。
お金が減ってきてから働いても手遅れに
ではその際、労働市場に戻れるか?というと、かなり心もとないように思います。なぜなら、積み上げてきた経験値が乏しいからです。
困難な課題に挑戦し、能力を高めること。いろんな人と交流し、コミュニケーション力を養うこと。そういう多様な経験を積み、自分の価値判断基準を(ガンコではなく)確固たるものにしていくことをやっていない。人的資本の蓄積がまるでできていない。積み上げるべき能力が積みあがっていない。
たまにネットで「20代で500万円貯めました」みたいな記事を見かけることがありますが、それを見て感じるのが「今まで何やってたの?」ということです。
多くの人は「どうやって貯めたの?」と感じるかもしれませんが、私には「貴重な20代を節約貯金なんかで過ごしてもったいなくない?」と感じます。
いまを我慢して老後のようにつつましい生活をして、お金を節約するために家と会社の往復だけ、お金をかけないよう狭く浅い経験しかせず、それで実際に老後になったときに、何が待っているのでしょうか?
いまを楽しむことができれば、老後も充実する
私は「いまを楽しむことができれば、老後もおのずと充実する」と考えています。
何が起こるかわからない現代ですから、何十年も先の計画を立てられる能力より、予想もしなかった出来事や状況に直面しても臨機応変に対応できる能力の方が大事。
そのためには節約貯金より、実務の中でそういう能力を磨いた方がいい。
同時に、何かあったときのためにお金を貯めておくよりも、何が起きてもお金を生み出せる能力、お金を生み出す方法を作り出せる能力を磨くことの方が重要だと考えています。