フリーターという「なんとなく格好いい働き方」
非正規雇用は「非正規」という後ろ向きな言い方ではなく「自由=フリー」から「自由人=フリーター」という明るさと楽しさを感じさせる言い方に変わって、「好きな時に働き、好きなだけ自分の時間を追求できる」とメリットが強調された。
それで、若者たちは正社員という古い働き方ではなく、フリーターという「なんとなく格好いい働き方」に憧れて、それを目指す若者も大勢いた。
しかし、2000年代からフリーターを選んだ若者たちは現実を知ることになった。フリーターというのは、「企業が低賃金で若者を雇って好きな時にクビを切る使い捨ての人員だった」という現実だ。
フリーターにいつまで働くかの選択肢があるわけではない。企業がいつまで働かせるかの選択肢があるのだ。
さらに言えば、フリーターの働き方が不利であることが分かった時に、それでは正社員で働こうと思っても、その時にはすでに企業は正社員の扉を閉じていて、フリーターは一生「非正規雇用者」として生きなければならなくなっていた。
その結果、若者の貧困と格差が広がっていったのは誰もが知る結末だ。
リスキリングという言葉を与えて「中高年」を放り出す準備
今回の「人材の流動化を促進する」という動きは「リスキリングを通して労働力の成長分野への移動を促す」という理由が添えられている。
リスキリング(Re-skilling)というのは『新しいスキルを身につけ実践し、そして新しい業務や職業に就くこと』という意味なのだが、「新しい技術を覚えて成長分野に転職したらハッピーになれますよ」というのが岸田政権の提唱する「新しい資本主義」である。
「人材の流動化」「リスキリング」「成長分野」
これだけを見ると、実に前向きだ。しかし、フリーター(非正規雇用)が実は「若者の使い捨て」が裏の目的であったのと同様に、このリスキリング(技能再習得)も「中高年の使い捨て」が裏の目的なのではないか。
確かにリスキリング(技能再習得)によって、DX(デジタル・トランスフォーメーション)で生まれた成長分野に進出できる人たちもいるだろう。しかし、大半の人たちはリスキリングしても、非正規雇用でいいように使い捨てされる人材になってしまうのではないか。
結果的には「ただの中高年の切り捨て」がリスキリングという格好良い言葉で行われるように見える。
つまり、今の労働市場で起きている動きというのは、「要らない中高年を会社から切り捨ているために、日本企業が日本政府に働きかけて行われている一連の策略」であってもおかしくない。
リスキリングが……というのは、そのための方便になっているのではないか、ということである。企業はこの20年で非正規雇用の比率をどんどん引き上げてきた。しかし、中高年は以前として正社員として残っていてクビを切ることが難しい。
だから、リスキリングという言葉を与えて放り出す準備をしているように見える。