かつて「半導体は産業のコメ」と言われたほど、半導体王国だったニッポン。いまでこそ半導体といえば世界の戦略物資でもありますが、なぜ日本は栄光の時代から凋落してしまったのでしょうか。(『 「グーグル日本法人元社長 辻野晃一郎のアタマの中」~時代の本質を知る力を身につけよう~ 「グーグル日本法人元社長 辻野晃一郎のアタマの中」~時代の本質を知る力を身につけよう~ 』辻野晃一郎)
※本記事は、『「グーグル日本法人元社長 辻野晃一郎のアタマの中」~時代の本質を知る力を身につけよう~』のバックナンバー2023年9月8日号の一部抜粋です。ご興味を持たれた方はこの機会にご購読ください。
福岡県生まれ新潟県育ち。84年に慶応義塾大学大学院工学研究科を修了しソニーに入社。88年にカリフォルニア工科大学大学院電気工学科を修了。VAIO、デジタルTV、ホームビデオ、パーソナルオーディオ等の事業責任者やカンパニープレジデントを歴任した後、2006年3月にソニーを退社。翌年、グーグルに入社し、グーグル日本法人代表取締役社長を務める。2010年4月にグーグルを退社しアレックス株式会社を創業。現在、同社代表取締役社長。また、2022年6月よりSMBC日興証券社外取締役。著書『グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた』(2010年新潮社、2013年新潮文庫)など多数執筆。
半導体との関わりはソニーから始まった
私がソニーに入社したのは、最初からソニーが第一希望ではあったものの、大学の同じ研究室出身の先輩がソニーの半導体部門に何人かいて、リクルーターとしてソニーに誘ってくれたのがきっかけにもなりました。
1984年にソニーに入社した時、当時厚木にあった「情報処理研究所」に配属されました。当時の厚木は、ソニーの先端技術開発の拠点としての位置付けで、半導体事業の拠点も厚木にありました。厚木に配属されてからの新入社員歓迎式典では、当時副社長で、今でいうCTOとして厚木のトップでもあった森園正彦さんや、専務取締役で半導体事業本部長であった河野文男さんがウェルカムスピーチをしてくれました(共に故人)。
河野さんは、「是非自分のオフィスに遊びに来てください」と厚木に配属された新入社員全員に呼び掛けてスピーチを締めくくりました。社交辞令でもあるでしょうし、新入社員の分際で普通は行かないのかもしれませんが、私はその言葉を真に受けて、厚かましくも当日か翌日に河野さんのオフィスをノーアポで訪ねました。
すると、タイミング良く在席していた河野さんは大歓迎してくれて、シリコンウェハーを片手にソニーの半導体事業について自ら詳しく説明してくれました。それ以来、河野さんには折りにつけてかわいがっていただきました。また、後に本社のR&D戦略部門に在籍していた時には、やはり半導体事業本部長を務めた高橋昌宏さん(故人)が、専務取締役として本社R&D部門のトップになられて大変お世話になった思い出があります。
米国留学で本格的にLSIの設計を学ぶ
入社2年目に、ソニーの海外留学制度に応募して米国の大学に留学したのですが、留学先では半導体の設計を本格的に学びたいと考えていました。そこで、世界で初めて半導体設計を大学のカリキュラムに導入して有名だったカリフォルニア工科大学(Caltech)の大学院修士課程を第一希望に選びました。ノーベル賞受賞者も多数輩出している名門で、よく東のMITと並び称されますが、Caltechには、『Introduction to VLSI systems』という、LSI設計のバイブルとも呼ばれた教科書を書いたカーバー・ミードという高名な教授がいて、彼の授業や指導を受けたいと思ったからです。
またCaltechは、トランジスタを発明してノーベル物理学賞を受賞したウィリアム・ショックレーや、インテルを創業し「ムーアの法則」でも有名な、ゴードン・ムーアなども輩出しています。北カリフォルニア、サンフランシスコの南側一帯をシリコンバレーというのは周知の通りですが、南カリフォルニアのパサディナに位置するCaltechも、半導体を始め、テック産業の興隆を牽引した大学の一つです。近くには、もともとCaltechの研究機関として発足し、今はNASAの研究機関となっているジェット推進研究所(JPL、Jet Propulsion Laboratory)があります。
ただ、真偽のほどはわかりませんが、カーバー・ミードは大の日本人嫌いという噂があり、受け入れてもらえるかヒヤヒヤしていたのですが、運よく修士課程への合格通知をもらうことができました。当時のCaltechには、『ファインマン物理学(The Feynman Lectures on Physics)』(岩波書店)や『ご冗談でしょう、ファインマンさん(Surely You’re Joking, Mr. Feynman!)』(岩波現代文庫)でも有名なノーベル物理学賞受賞者のリチャード・ファインマンを始め、錚々たる学者が集まっていました。
しかし、幸か不幸か、私が留学した年は、カーバー・ミードはサバティカルを取っていて不在で、その一番弟子だったチャールズ・セイツという教授がVLSI Designの授業を担当していました。
VLSI Designの授業は実習主体の苛酷なものだったのですが、私が最も驚いたのは、当時すでに MOSIS(MOS Implementation Service) という、学生が設計したLSIの実チップを、半導体メーカーが実際に試作して納品してくれる、という仕組みが整っていたことです。しかも、設計データを、当時のSunワークステーション上で作成して、それを指定された中間フォーマットに落とした上で、ネットワーク経由でMOSISの本部に送付すると、1ヵ月後位に試作されたチップが送られてくる、という実に使い勝手の良いものでした。
本部は近くの南カリフォルニア大学にあったようですが、Caltechでもこの仕組みが利用できるようになっていました。私も実際にこの仕組みを使って、実習で設計した回路の実チップを試作して入手するという貴重な経験を積むことができたのですが、教育環境における圧倒的な彼我の差(日米格差)を感じたものです。
留学からソニーに戻ってからは、この経験で感じた彼我の差を何とかしようと、「設計改革プロジェクト」という部門横断的なプロジェクトを立ち上げ、そのプロジェクトを通じて、デジタル回路設計やLSI設計をVerilogやVHDLなどのハードウェア記述言語で行なう取り組みなどに尽力しました。
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