アメリカの政策を180度ひっくり返した中国
ホアンさんの例は、「中国が米政権中枢に入り込み、機密情報をゲットしている」でした。
今度は、「政策を180度変えてしまった例」を。出所は、『China2049』。副題は、「秘密裡に遂行される『世界覇権100年戦略』」といいます。一見「陰謀論かな?」と思えるでしょう。ポイントは、「書いている人」です。
著者のマイケル・ピルズベリーさんは、
- アメリカ国防総省顧問
- ハドソン研究所中国戦略センター所長
であり、アメリカの政策に大きな影響力をもつ
- 外交問題評議会
- 国際戦略研究所
のメンバーでもある。さらに、この本で暴露しているのですがピルズベリーさんは、24歳のときから
- アメリカのスパイ
として働いてきた。そして、この本は、「国家機密が漏えいしないよう、CIA、FBI、国防総省による査読を受けた」とあります。つまり、CIAもFBIも国防総省も、本の作成に協力している。この本を読めば、「米中が裏でベッタリひっついていた」ことが事実であるとはっきりわかります。詳しくは本を読んでいただくとして、ここでは例をあげておきます。
皆さんご存知のように、米中関係が劇的に改善したのは、70年代はじめです。当時は、アメリカとソ連の「冷戦時代」。しかも、アメリカは、ソ連におされ気味だった。ニクソンとキッシンジャー大統領補佐官(当時)は、「ソ連と対抗するために中国との関係を改善しよう」と決意します。
当時まだ20代だった著者のピルズベリーさんは、「米中が和解するとソ連はどういう反応をするか?」に関する情報を集め、ニクソンとキッシンジャーの決断を後押ししました。
こうして、「ソ連に対抗するため」という名目で米中はひっついた。そして、鄧小平は、アメリカ(と日本)から、もらえるものを全部もらい、「奇跡の経済成長」を実現します。だから、「アメリカが中国を育てた」のは、そのとおりなのですね。
しかし、米中関係に、大きな危機が訪れました。一つは、1989年の「天安門事件」。もう一つは、1991年末の「ソ連崩壊」と「冷戦終結」です。
米中和解の論理は、「ソ連と対抗するため」でした。では、ソ連がなくなった今、「なぜ独裁国家の中国と仲良くするの?」という疑問が、当然アメリカ側からでてきました。
そして、アメリカに「反中」の大統領が誕生します。なんと、クリントンでした(伊藤先生の本を読むと、クリントンは最初から親中だったのでしょう。しかし、「ポーズ」で反中をしていたのだと思われます)。
大統領選のさなかには、「ブッシュ大統領は、北京の肉屋を甘やかしている」と攻撃した。
クリントンが大統領に就任するとすぐ、国務長官のウォーレン・クリストファーは、上院外交関係委員会でこう宣言した。
「わたしたちの政策は、経済力の強化と政治の自由化を後押しして、中国における共産主義から民主主義への広範で平和的な移行を手助けすることだ」
出典:伊藤貫・著『中国の「核」が世界を制す』(p140~141)
クリントンは、「中国もソ連のように『民主化させよう!』」と宣言していた。これはもちろん、中国共産党にとって、きわめてまずい事態でした。
で、中国はどうしたか?アメリカ政権内に「親中派グループ」を形成し、クリントンの対中政策を「変える」ことにした。ピルズベリーさんによると、中国に取り込まれた人物の中には、
- 国家経済会議議長ロバート・ルービン
- 財務次官ローレンス・サマーズ
などが含まれていた。ルービンは、元ゴールドマンサックスの会長で、後に財務長官になった(いわゆる「国際金融資本」の「大物」と呼べるでしょう)。サマーズは、ハーバード大学の経済学者で、ルービンの後に財務長官になった。
「親中派グループ」は、政治家の味方を増やしていきました。そして、何が起こったのか?
ついに1993年末、中国が現在、「クリントン・クーデター」と呼ぶものが起きた。中国に同調する面々が大統領に反中姿勢の緩和を認めさせたのだ。
クリントンがかつて約束したダライ・ラマとの新たな会談は実現しなかった。対中制裁は緩和され、後に解除された。
出典:伊藤貫・著『中国の「核」が世界を制す』(p143)
驚くべき事実です。中国はなんと、アメリカの外交政策を180度転換させることに成功したのです(伊藤先生によると、クリントンは1980年代から金をもらっていたので、元から「親中」。ピルズベリーさんによると、「もとは反中だったが、親中に転向させられた」。両者の意見は違いますが、「(本音かはともかく)反中だったクリントン政権の対中政策」を圧力で「親中に変えてしまった」のは事実なのでしょう)。
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