「風説」を追い風に株価3倍でクロス執行を迫る鮮やかな手口
時価での媒介商内を約束させた上で、Q社株を百万株保有したPさん。ここから先の手並みが、「スマートガイ」としての本領発揮であった。
Q社はもともと発行・不動株数が少なく、出来高も薄い小型株である。そこでPさんは毎日、市場に出ている売り注文を全部買った。全部と言っても、これは日に千~2千株程度で済む。
それをしばらく続けた後、やがて売り注文が枯れてくると、そのタイミングを見計らってPさんは成行で大量の買い注文を出した。
このところ少量ながら毎日売り注文が消化され、ジリ高傾向にあったQ銘柄に、急遽大量の買い注文が一本で来た体である。
市場では「これはどこか大きな投資主体による乗っ取り(今でいう敵対的M&A)に違いない」との風説が立った。
とはいえ、これはPさんが流した噂ではなく、自然発生したものだった。だから証券取引法(現・金融商品取引法)で禁止される「風説の流布」には該当しない。この辺がPさんの抜け目ないところで、彼の目論見どおりの相場となった。
そうやってQ株が上がり切ったところで、野村の担当者に「先日買った百万株を、約束通り今から1ヶ月以内に時価で引き取れ」と迫ったのである。
その時点で株価は買値の約3倍に暴騰していた。Pさんと私は、Q株が値下がりしないよう、毎日売り注文をこなして買い支えながら、早々にクロス商内を付けるよう担当者をせっつく。
果たして1ヶ月後、無事に媒介商内は成立し、Q社株は百万株すべて何処か法人の手に渡ることになった。PさんはQ株への投資で短期間に約3倍のリターンを得ることに成功したのだ。私も一枚噛んで、間近で見た取引である。
後日談になるが、Q社はその騒ぎに懲りたか、間もなく自主的に全株をあるファンドに買い取らせ上場を廃止した。
また、PさんにQ社を紹介した野村の担当者は、しばらくは羽振りよく活動していた。
野村を辞めて他社の歩合外務員(当時の四大証券には存在しなかった)になり、自己のあげた手数料の4割を貰って高額所得者名簿にも顔を出すほどだったが、その後、どうしたわけか急死してしまう。
いくつかの偶然も重なって、Pさんが仕掛けた一大プロジェクトに関わった当該銘柄や担当証券マンは、この世からキレイさっぱり消え去ってしまった。
こうなってはPさんに、風説の流布はおろか、反市場勢力や相場操縦の疑いすらかかりようがなかった。「スマートガイ」Pさんのしたたかさである。
Pさんは相変わらず、何事もなかったように飄々としていた。
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