余命1年と診断された男性が死を受け入れて仕事や財産を整理したところ、5年経った今も生きている…として病院とトラブルに。この事例から、これからの終活について考えます。(『三宅雪子の「こわいものしらず」』三宅雪子)
※本記事は有料メルマガ『三宅雪子の「こわいものしらず」』2018年8月10日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め今月分すべて無料のお試し購読をどうぞ。
元衆議院議員。玉川学園女子短大、共立女子大学を卒業。テレビ局勤務を経て、2009年群馬4区で民主党から立候補し、比例復活当選。現在は、執筆やネット配信、福祉や介護のアドバイザーなどをしながら政治活動を行っている。
終活は万全? 今後は余命宣告「後」の生き方が問題になってくる
余命1年と言われたものの…
7月30日の西日本新聞に余命宣告に関するトラブルが紹介されていました。
難治性の血液がんの成人T細胞白血病(ATL)で余命1年と診断された男性が、その死を受け入れ仕事や財産を整理したところ、5年経った今も生きているという話です。
余命宣告が当たり前になった一方、日本の医療技術は進んでいます。予想された問題です。むしろ、もっとこうした事例は早く報道されるべきだったと思います。日本中で同じような事例が多く起きているはずです。
男性は親族にお別れの手紙まで書いたそうです。いわゆる「終活」をしっかりしたんですね。
余命を宣告されるだけでもつらいのに、その準備をしていたらいつまで経っても「その日」が来ないどころか「治療が奏功して症状が改善した」そうで、危機的な状況からほど遠い様子です。
医師「次の誕生日を迎えられる可能性は120%ない」
病気がよくなったならば、もちろんそれは喜ばしいことではあります。
しかし、医師から「次の誕生日を迎えられる可能性は120%ない」とまで言われて「旅立つ準備」をすっかりしてしまった男性は、嬉しさ半分、困惑半分。
なにしろ、お金をそのつもりで使い切ってしまったそうなんです。かといって全快してピンピンしているわけではないから手放しで歓迎するような気分にもなれないでしょう。「不安」からは開放されません。
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