生活できない人にはカネを貸さない
今の日本人の平均貯蓄額で考えると、仮にリストラのような不幸な事件が自分の身に起きて次の仕事が見つからなければ、平均的に貯金がある人であっても半年で貧困に落ちることが分かっている。
たった半年で、永遠に抜けられない地獄に落ちるには充分なのである。貯金がない人は半年どころか仕事を失って1ヶ月で窮地に落ちる。
皮肉なことに、資本主義社会ではカネがうなるほどある人には銀行も喜んでカネを貸すのだが、カネがまったくない人には銀行員に土下座してもカネを貸してくれない。
カネがなくて生活できない人にはカネを貸さないのが資本主義だ。
小さな金を軽視するのが貧困層
だから、私たちは次の2つを軽視してはいけないし、これこそ子どもたちに教えていかなければならない。
- どのようにして貧困から逃れるのか
- どのようにして貧困に落ちないようにするのか
結論から言うと、貧困の中で苦しんでいる人たちができることは、たった1つのことしかない。
「節約して、黙って金を貯める」
小さい金は小さな子どもと同じだ。それは何の力も意味もないように見える。だから、小さな金であればあるほど、人々はそれを軽視してしまう。
富裕層と貧困層では、貧困層の方が気前が良いとはよく言われる。実際、貧困に落ちている人が気前よくなけなしの金を他人に与えるのは、多くの人が目撃する。また、貯金がある人と貯金がない人では、貯金がない人の方が逆に気前が良い。
もう自暴自棄になっているので、他人に上げてしまいやすい心理状態にあると観察することもできる。しかし、それだけではない。持っているカネがあまりにも小さすぎて、それが「大切なもの」という気になれないのである。
あなたは「1円」を拾いますか?
たとえば、道端に1円が落ちていたとする。
この1円を価値あるものだと拾うかどうか。数百億円の資産を残した作家にして実業家だった邱永漢は「自分でも拾うし、落ちていたら拾え」と書いた。
1円を粗末にする者は大金もまた粗末にする。1円を大事にする者は大金ならなおさら大事にする。だから「1円でも拾う」のが正解なのである。
これは意外に多くの富裕層に共通していて、ビル・ゲイツもエレベーターで1セントを拾って大喜びしていたのを同僚に呆れられているし、ウォーレン・バフェットも1セント硬貨を拾って「未来の10億ドルだ」と言ってそれをポケットに入れていた。