「最も神秘的な富豪」段永平の半生
段永平は、現在米国に家族と暮らし、毎日好きなゴルフをしながら暮らしています。時々投資の仕事をし、時々慈善活動をするぐらいで、電話もほとんど使いません。そのため、「最も神秘的な富豪」と中国では呼ばれています。
しかし、段永平の薫陶を受けた人たちが、現在中国で活躍をしています。OPPO、vivoもそうですし、ソーシャルECで勢いのある「ピンドードー」もそうです。
段永平は、1961年3月生まれの現在59歳です。父親の段錫明は、当時、食べるものにも困るほど困窮をしていました。その最中、妻が妊娠をし、生まれたのが段永平です。この男の子が永遠に平安な人生を送れるようにと「永平」という名前をつけました。
段永平が生まれると、両親は2人とも江西水利電力学院(現在の江西省南昌工程学院)の教師の職を得ることができました。これにより、決して豊かとまでは言えないものの、安定した生活が送れるようになります。
しかし、段永平が5歳の時、この短い幸せが終わります。両親が下放にあってしまったのです。
1966年から中国では文化大革命が起こります。文化大革命は、建前上は「封建主義と資本主義を打倒し、理想的な社会主義を創生する」という運動でしたが、実態は、権力を失った毛沢東の復権運動でした。毛沢東は国民に人気があることを利用して、紅衛兵と呼ばれる学生親衛隊を扇動し、政敵である劉少奇などを攻撃させたのです。
生活や経済に大きな不満を抱いていた学生たちは暴走しました。「封建主義と資本主義を打倒する」建前は、あっという間に偉い地位にいる人とお金持ちへの攻撃に変わりました。大勢で自宅に押しかけ、侵入し、伝統美術品を破壊し、財産を奪っていきました。中国は世界でも稀に見る長い歴史を持つ国なのに、伝統美術品や伝統建築物が少ないのは、この時に破壊し尽くされたからです。
物だけでなく、人も破壊されました。反革命的と認定された人には、公然とリンチが行われました。諸説ありますが、数十万人から2,000万人に及ぶ人が死亡したと言われています。今から考えると、ちょっと信じられない狂気の時代です。
毛沢東も、学生たちの暴走を持て余してしまったようです。そこで、下放という制度が奨励されました。より理想的な社会主義を築くために、学生たちは農村に行き、農村に学び、農村に毛沢東思想を伝える必要があると、農村にいくことを奨励したのです。要は、学生たちが都市を闊歩し、暴動ばかりを起こしているので、農村に追いやって、なんとか収拾しようとしたのです。
この下放によって、多くのインテリの若者が農村に向かいました。そこは地獄でした。都会の若者が農作業をうまくできるわけがありません。食べるものにもすぐ困りました。農村も疲弊しきっていて、学生たちを助けてあげたくても、農民にもその余裕はありません。餓死をしてしまった学生も多かったと言います。