【最終回】俺たちはどう死ぬのか? 春日武彦✕穂村弘が語る人間の幸せと不幸せ

 

幼児性と無垢との狭間で

穂村 ちょっと似た話で、何かの本で読んだ記憶があるんだけど「もっとも手っ取り早く元気を出すには、ロシアンルーレットをやればいい」という主張があってさ。耳元で、「カチッ」という不発音を聞いた瞬間、ものすごく生きていることを実感して元気が湧いてくるんだって。こういうのも、幸福の1つの形ということになるのかな。

春日 イギリスの小説家グレアム・グリーン(1904〜91年)がやってたらしいね。カチッってなった時は童貞を失ったみたいな感じがした、って自伝に書いていたよ。

穂村 どういう意味なんだろ?

春日 祝福され世界に受け入れられたような気がした、みたいなニュアンスだった。でもあれ、一度セーフということになっても、次また順番が回ってくる可能性があると考えたら気が滅入りそうだよね。あれをもう一回やるのかよ! みたいな。一回で気力を全部使い果たしそう。

穂村 6発入るリボルバーに銃弾を1発装填したら、自分で自分の頭を撃ち抜く可能性は1/6。でも、それだと怖いから、せめて1/600くらいにして欲しいよね。それでも効果はそんなに変わらないと思うんだ。死の可能性がゼロでさえなければ。

あ、それで言えば、今新型コロナウイルスが流行しているわけだけど、感染者がここまで増えてしまうと、いつ自分がかかってもおかしくないと思うから、ある意味生活しているだけでロシアンルーレット状態だとも言えるよね。でも、ぜんぜん元気は出ないね。何がちがうんだろ。

春日 やっぱり、自分の手でアクションを起こすことが重要なんじゃないの。

穂村 ただ、ロシアンルーレット的なものの効果は、そこまで持続しないような気もする。この前、道を歩くこともテレビを見ることも漢字を書くことも全部楽しい、みたいな短歌を見てびっくりしたんだけど、作者が外国の名前だったから、おそらく命の危険があるような国から日本にやってきて、あらゆる物事が新鮮なんじゃないか。でも、この人も、やがてはその生の奇蹟に慣れて「楽しい」と感じなくなると思うんだ。そうしたらこんな歌は詠めなくなるよね。

春日 まあ、確実に感覚は鈍磨するだろうね。良くも悪くも、人間は感覚が麻痺していく生き物だから。それは時に辛さから逃避する手助けになるけど、逆に楽しいことも色褪せさせてしまう。なかなか都合良くいかないものだよね。

穂村 生きることに慣れない方がいい、みたいなこともあるのかな。いつまでも幼児性を失くさずにいた方が幸福なんじゃないか、とかさ。ちょっと自分に都合よく考えすぎかな(笑)。

春日 幼児性ということなのかは分からないけど、俺は20年以上心の拠り所にしているぬいぐるみがあるよ。「だんぺい君」っていう名前で、ツモリチサトがデザインしているヤツ。遠赤外線が入ってて暖かいのよ。何かで見ていいなあって言ってたら、女房が誕生日に買ってくれてさ。

それはそうと、幼児性みたいなものはみんなどっかで失くすものなのかもしれないけど、年とるとワガママになったりするから、結局は回帰してくるものとも考えられているよね。まあ、幼児性のイヤな部分が、ってことになるわけだけど。

穂村 呆けると一番幸福だった時代に戻るという説があるよね。まあそうならなくても、僕はいまだにブルボンのお菓子とか出されたら、嬉しくて延々食べちゃうけど。

春日 ただ悲しいかな、それは「無垢である」ということとは全然関係がないんだよね。

穂村 そもそも、実際の幼児が全然無垢じゃないもんね。だって、ある欲求に対して全能感の塊なんだもの。むしろ権力やパワーを持たせたら最悪、という存在じゃない。無力だから、子どもは子どもとして可愛がられるだけで。吉野朔実さん(1959〜2016年)の漫画に「大人だと思って甘く見るなよ」って台詞があったけど、僕もそんなふうに思うから、子どもとか見てもライバル意識しか浮かばないもんね。

春日 これからの人生、辛いことがたくさん待ってるんだぜ、ってね(笑)。

穂村 我ながら器が小さいなと呆れてしまうよ。でもさ、そういうどうしようもなさと、崇高なものに憧れる気持ちって矛盾しないと思うんだ。心が汚くても素晴らしいものに憧れてもいいよね。というか、だから憧れるんだ。

春日 うん、心の汚さをエレガントに隠しおおせるかどうかのほうが重要でね。そんなことも出来ない奴には、理想なんか手に負えないどころか危険だよ。

(了)

春日武彦✕穂村弘対談
第1回:俺たちはどう死ぬのか?春日武彦✕穂村弘が語る「ニンゲンの晩年」論
第2回:「あ、俺死ぬかも」と思った経験ある? 春日武彦✕穂村弘対談
第3回:こんな死に方はいやだ…有名人の意外な「最期」春日武彦✕穂村弘対談
第4回:死ぬくらいなら逃げてもいい。春日武彦✕穂村弘が語る「逃げ癖」への疑念
第5回:俺たちは死を前に後悔するか?春日武彦✕穂村弘「お試しがあればいいのに」
第6回:世界の偉人たちが残した「人生最後の名セリフ」春日武彦✕穂村弘対談
第7回:老害かよ。成功者が「晩節を汚す」心理的カラクリ 春日武彦✕穂村弘対談
第8回:年齢を重ねると好みが変わる? 加齢に伴う「ココロの変化」春日武彦✕穂村弘対談
第9回:俺の人生ってなんだったんだ…偉人たちも悩む「自己嫌悪な半生」 春日武彦✕穂村弘対談
第10回:死後の世界って言うけど、全然違う人間として死ぬんじゃないかな。春日武彦✕穂村弘対談
第11回:なんでいつもこうなるんだ…人はなぜ、負けパターンに縛られるのか?春日武彦✕穂村弘対談
第12回:SNSの追悼コメントで自己アピールする人ってどう思う? 春日武彦✕穂村弘対談
第13回:猫は死期を悟って「最期の挨拶」をするって本当? 春日武彦✕穂村弘対談
第14回:「俺、この仕事向いてないかも」って思ったらどうしてる? 春日武彦✕穂村弘対談

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春日武彦(かすが・たけひこ)
1951年生。産婦人科医を経て精神科医に。現在も臨床に携わりながら執筆活動を続ける。著書に『幸福論』(講談社現代新書)、『精神科医は腹の底で何を考えているか』(幻冬舎)、『無意味なものと不気味なもの』(文藝春秋)、『鬱屈精神科医、占いにすがる』(太田出版)、『私家版 精神医学事典』(河出書房新社)、『老いへの不安』(中公文庫)、『様子を見ましょう、死が訪れるまで』(幻冬舎)、『猫と偶然』(作品社)など多数。
穂村弘(ほむら・ひろし)
1962年北海道生まれ。歌人。90年、『シンジケート』でデビュー。現代短歌を代表する歌人として、エッセイや評論、絵本など幅広く活躍。『短歌の友人』で第19回伊藤整文学賞、連作「楽しい一日」で第44回短歌研究賞、『鳥肌が』で第33回講談社エッセイ賞、『水中翼船炎上中』で第23回若山牧水賞を受賞。歌集に『ラインマーカーズ』『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』、エッセイに『世界音痴』『現実入門』『絶叫委員会』など多数。
ニコ・ニコルソン
宮城県出身。マンガ家。2008年『上京さん』(ソニー・マガジンズ)でデビュー。『ナガサレール イエタテール』(第16回文化庁メディア芸術祭マンガ部門審査委員会推薦作品)、『でんぐばんぐ』(以上、太田出版)、『わたしのお婆ちゃん』(講談社)、『婆ボケはじめ、犬を飼う』(ぶんか社)、『根本敬ゲルニカ計画』(美術出版社)、『アルキメデスのお風呂』(KADOKAWA)、『マンガ 認知症』 (佐藤眞一との共著・ちくま新書) など多数。

漫画&イラストレーション:ニコ・ニコルソン
構成:辻本力
編集:穂原俊二
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