無力化された日本の労組
経営側は、バブル崩壊で倒産した有名企業を目のあたりにしてきただけに、賃上げを渋るという守りの姿勢に転じた。
私は、労働組合関連通信社と長年コンタクトがあり、労働組合運動の衰退を肌で感じてきた。現在の日本で、末端の労働組合運動は賃上げでめぼしい成果を上げられないことから「開店休業」状態の労組が続出している。
これは、決して歓迎すべきことではない。韓国の労組のように韓国経済に支障を及ぼす存在になっても困るが、日本のように弱体化する労組も大きな問題である。
労使は、良い意味で「緊張関係」に立たなければならない。労使が馴れあいになると、経営者側に緊張感を欠如させる危険性が高まる。
社名を出すと差し障りがあるので匿名とするが、戦後からの労使関係で緊張関係を欠いていた企業は、仮に大企業であっても発展の芽が摘まれることは間違いない。現に、そうなっている。
対立ばかりでも駄目、なあなあの緩い関係も駄目である。ほどよい緊張関係が、企業を発展させるし、従業員の待遇も改善する。
労働分配率を60%台へ引き上げる必要
以上のような視点で、前記の労働分配率推移を見ていただきたい。
1991年の労働分配率は65%である。95年も64%を維持していた。この6割台の労働分配率が、妥当なものとすれば、現在(2019年)は、約10%ポイントも低下している。
これが、日本経済を「低物価・低金利・低成長・低失業」の状態にさせた要因と思われる。低失業率は、マクロ経済政策でアベノミクスにより潜在成長率を引き上げた政策効果による。
一方で労働分配率の低下が、アベノミクス効果を相殺したことは疑いない。安倍政権でも、経営側に賃上げを大いに働きかけたが、「経営論理」の壁に阻まれた。
こういう、過去の経験を生かせば、税制の活用が必要であろう。
ただ、企業の内部留保に課税するという乱暴な議論が登場して、この議論は空転した。内部留保は一度、法人税が課されたものである。ここへ、さらに課税することは「二重課税」である。これは、税法上あり得ない議論である。
こういう「愚論」を避けるには、労働分配率のガイドラインをつくり、それを達成した企業には税法上のメリットを与えることだ。ガイドラインでは、60%台の労働分配率へ引き上げることを目標にすべきである。