「やるのも自由だし、やらないのも自由」
こうした行事を否定するものではなく、「やるのも自由だし、やらないのも自由」ということです。やらない人を責める道理はどこにもない、ということです。
ちなみに私自身の例で言うと、お中元・お歳暮は結婚した年だけ、結婚式に参列していただいた親族に送りましたが、以降20年以上送っていません。
年賀状も15年以上前にやめ、初詣・年越しそば・おせちに至っては、幼少期以外記憶がないぐらいです。
2度の結婚式はいずれも先方のご両親の希望で挙げましたが、2回目は仏滅だったので割引が受けられました。
葬式はまだ自分が喪主の経験はなくこれからですが、両親ももう80代なので心の準備はしています。おそらく身内だけでやるでしょう。
父親は墓に入ると思いますが、墓の管理が難しいので個人的には墓じまいをしてもいいと思います。このあたりは2人の姉とも相談が必要ですが。母は散骨希望ですから、そのようになると思います。
七五三は両親の希望で写真館で撮りました。面倒ですが。
入学式・卒業式は、子どもがまだ小さいので出席しましたが、中学校に上がればもう行かないと思います。
小学1年生の長男は、運動会で顔を合わせたのがうれしかったようで、こういうのは参加が必要ですね。それに先日の授業参観を夫婦ともに欠席したことを、長男は「探したけどいなかった。寂しかった」と言っていましたので、しばらくは参加しようと思います。
小学校のPTAに関しては、加入はしましたが、イベントにはまったく参加していません。というか、案内すら来ていない(知らないだけ?)。
集団登校もやめたので付き添いもしていないし、登下校時の旗振りも、妻が1回やっただけ。
「完全なる手抜き」で訪れる平淡な日常
こう書いてみると、私はメチャ薄情ですかね(苦笑)。
起業してからは感情の起伏が乏しくなっており、特にこの10年ぐらいはぐっと無感情になってきています。
実家の両親もコロナで帰省するなと言っておりもう2年近く会っていませんが、このままお別れになるのもやむなしかなあというぐらいに。
ハロウィンもクリスマスも無縁。むろん玄関にクリスマスのリースも正月のしめ飾りも出さないし門松も出さない。バレンタインデーもホワイトデーも関係なし。高校生ぐらいまでは気にしていましたが、それ以降はまったく縁のない(というか覚えていないだけ?)イベントになっています。
季節感のない平淡な日常です。完全なる手抜きです。