国際結婚が多いフランスならではの「移民問題」が火種に
国民戦線を支持するような労働者階級は、移民たちによって自分の仕事を奪われるのではないかと戦々恐々としていると言われている。だから移民排斥を売りにするような国民戦線を支持するのだと。
その見方は全然誤っていないだろうし、基本的には全くその通りなのだが、これにしても事態はそう単純ではないようだ。
フランスは他のヨーロッパの国々の中でも、とりわけ“異文化コミュニケーション”が盛んな国である。要するに国際結婚が多いということ。この場合の国際とは、文字通りアフリカ、中東といった“非ヨーロッパ”も含まれてのことだ。
そして、先ほどの労働者階級は、その上に位置する中産階級よりも“非ヨーロッパ”を含めた国際結婚の率が高いことは統計上の数値でも明らかなのだ。
これは大きな矛盾である。つまり、誰よりも外国人排斥を訴える層である労働者階級は、同時にそんな外国人と結婚する率も高いのだから。労働者にとって外国人とは敵なのか味方なのか?
フランスに見られる“異文化コミュニケーション”は、ある意味、移民の同化とも受け取れるが、そんな移民が同化できない、同化しようとしなかった場合、由々しき事態となる。
フランスの国家としてのコンセプトは、「自由」「平等」「博愛」のトリコロールであった。ところが、ここに人権に関するロジックのぐらつきが発生する。
つまり、世界中の人間が同じで平等であるならば、フランスにやって来てフランス人と同じような行動をしない(同化しない)移民は、「そんな連中はもはや人間ではない」という理屈が成り立ってしまうという恐ろしさだ。このことは昨今フランスを震撼とさせた当時多発テロに対する、フランス人の受け止め方にも通底するものがありそうだ。
フランス同時多発テロにおいてよく言われるのが、イスラム教という宗教的な問題である。ドナルド・トランプは「すべてのイスラム教徒がテロリストではないが、テロリストはすべてイスラム教徒である」と言ったとか。
ここでも「欧米社会 VS イスラム教」といった対立構図で人々は安心しようとするが、それは現実に即していない。国民戦線を支持し、移民を蔑視し排除しようとする階層が、無意識のうちに最も問題視しているのは移民の生活行動・生活様式であるはずだからだ。