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今の日本政府の財政政策は江戸幕末の動乱期に酷似。悪貨流通で起きた狂乱物価の歴史は繰り返されるのか?

現在の日本の財政赤字と金融政策は、江戸幕末の動乱期と酷似しています。300年の間に溜まり溜まった財政赤字を、貨幣価値を落として解消しようとしましたが、狂乱物価が起こり、江戸幕府は崩壊します。同じ歴史を日本政府は繰り返すのでしょうか?『いつも感謝している高年の独り言(有料版)』)

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※本記事は、『いつも感謝している高年の独り言(有料版)』2022年10月27日号の抜粋です。ご興味を持たれた方はぜひこの機会にバックナンバー含め今月すべて無料のお試し購読をどうぞ。

財政赤字のダム決壊から始まった幕末動乱

我が国の近代の歴史を振り返ると、現在と類似してるのは幕末でした。

今回は江戸中央政権の改鋳の歴史を、私の視点で述べてみたいを思います。

江戸幕府政権の最初は、大判、小判等の秤量、貨幣バージョン(金貨、銀貨)から低品位の名目だけの金貨、銀貨の政府保証バージョンに切り替わり、その上に各藩が勝手に発行した銀札、藩札(FIAT紙幣、不換紙幣)の無断発行が加わりました。

300年間のヘリコプター・マネーが財政赤字のダムに溜まり続け、そして遂に幕末動乱で
突然決壊したのです。

幕末は社会改革から始まったのではなく、むしろ物価上昇に因る貧困化から始まったのです。

それを話したいと思います。

江戸末期の幕末インフレ

幕末のインフレは「黒船ショック・インフレ若しくはハリス・ショック・インフレ」と表現されています。

その当時の通貨から見たインフレ率は3.375倍。(もちろん正確な個別品目の資料はありません)。

狂乱物価で武士の俸禄は三分の一以下となり食事にも事欠き、札差(金融業者)からの借金は踏み倒し、デフォルトしたのです。

もちろん中小の札差の多くは破産した。

地方藩の浪人は、此の狂乱物価の原因は江戸(中央政府)の失政ということで大挙して上京し「攘夷、倒幕」を唱えたのです。

「インフレは黒船のせいだ!」という説明が時期的にぴったりの感を呈していたので「攘夷」という言葉が生まれたのです。

もちろんこの黒船インフレの直接の原因は、魯鈍な浦賀奉行達、勘定方の面々の金融知識不足で、米国や英国大使への説明もできない程でした。

彼らでは、通商交渉の最重要項目のドル対日本通貨の固定為替レートの計算根拠を、相手に説明できなかったのです。

説明できる日本人は当く離れた長崎の出島に居ましたが、彼らは関わりたくなかったのです。権益を失う可能性があったからです。

つまりほどんどの日本側代表である幕政の重要人物がマネーの本質を理解できていなかったのです。

その上、当時の通貨は金貨、銀貨、銅貨が複雑に混ざり、その上実質価値は発行時代により異なっており、現代人が見ると複雑怪奇なシステムでした。

さらに、横浜の外国商人達が金貨(小判)と銀貨(一分銀)の交換比率が海外と日本では大きく違うことに気が付き、利益獲得に走ったのです。一挙に日本の小判(金貨)の大量の海外流出を招いたのです。

これが貯水ダムの崩壊の引き金だったのは間違い無いです。

しかしもっと本質的で、重要なのは江戸幕府300年間の財政赤字でした。

江戸開城に臨んだ勝海舟が実際に見た御金蔵には空の千両箱ばかりだったのです(勝海舟の日記に記載されています)。

つまり江戸政権の金準備はゼロになっていたのです。

もちろん浪費すれば、金準備は消えます。それだけでなく、この財政赤字を埋めるために300年間の幕政の中で、金貨を溶解して、ほとんどが銀の金貨(偽金貨)を鋳造したのです。

慶長大判、小判等を改鋳し、金品位を落とせば、出目(益金)が出ます。それで財政赤字を誤魔化して来たのです。これが幕府300年のほぼ唯一の財政政策。ここまでは誰もが知る話です。

現在のほぼ唯一の財政政策は、紙証文の紙幣印刷大量発行ですが…。

Next: 財政悪化により流通する金貨の価値を下げ続けた江戸幕府

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