まずは興味を持ってくれたことに感謝すべき
押し付けはキャンペーンの名前だけではない。
観光客に「日本の正確にはこういう歴史があって、こういう文化があって、こういう人がいて、それは常識だ」と、あたかも間違いは絶対に許さないまでに説明していくのも「知識の押し付け」である。
日本が好きだと言っても、日本の歴史が好きかどうかは外国人によって違うし、「日本が好きなら正しい歴史を知るべき」というのも日本人の押し付けや傲慢である。それは、そういうのに関心のある人が知ればいいのであって、日本に関心のある外国人全員に押しつけるものではない。
しかし、日本のインバウンドというのは、ややもすればそうした押し付けの傾向があるし、日本人もまた正しい歴史を必死になって外国人に教えようとして結果として押し付けになっている。
海外の日本ファンを増やしたいのであれば、「ああしろ、こうしろ」と言うのではなく、それがどんなことであっても、まずは興味を持ってくれたことに感謝するべきでしょう。
また、日本人は「外国人はこういうのが好きなんでしょ?」と観光地や目的地に無理やりつれて行くのが親切だと思っているのだが、それもまた押し付けでしかない。しかし、それをやっているのが「クールジャパン」だったのだ。
外国人のひとりひとりは「自分が愛する日本」がある
外国人は多様だし、日本のどこに関心を持ったのかもひとりひとり違う。
日本人が夢にも思わない部分で日本を好きになるケースもある。本書では、ハイチ人ステファン・フーシェ氏が取り上げられているのだが、彼が日本に関心を持つようになったのは、「コマツの重機」だというのである。
彼の故郷であるハイチが巨大ハリケーンで大規模に破壊されてしまった後、彼の村を整備したのがコマツの重機だった。彼はそれに感動し、日本が好きになり、日本にやってきて日本と世界をつなぐ活動をするようになっている。
クールジャパンだとか何だとか押し付けなくても、そうやって外国人のひとりひとりは「自分が愛する日本」がある。もちろん、日本のアニメやゲームを愛していたベンジャミン・ボアズ氏自身もそのひとりだった。
彼らは「クールジャパン」という日本政府の押し付けで日本を好きになったのではなく、自発的に何らかのきっかけで日本を好きになって、日本のことを勉強し、自分の意志で来日している。
そんなところに「クールジャパン!日本は格好いいだろ、どうだ格好いいだろ?」と延々と言われたら確かに「ちょっと待ってくれ、やめてくれ」という気持ちになっても不思議ではない。日本に魅力を感じてやってきているひとりひとりに「クールだろ?」と言い続けるのは間違いなく傲慢だ。
そういうわけでベンジャミン・ボアズ氏は初めて招待されたクールジャパン総会で「クールジャパンという名前を変更してはどうか」と尋ねたというのだが、会場内に笑いが起こっただけで何も変わらなかったという。
結局、クールジャパンは数百億円も捻出しながらどれくらいの効果があったのかは誰にも分からないし、日本という国のブランディングの向上にも何ら役に立っていない可能性すらもある。ベンジャミン・ボアズ氏がそれを歯がゆく思っており、何とかしたいという気持ちが本書から溢れ出ている。
いったい、この税金の無駄遣いをどうしたらいいのだろうか?