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資産「ゼロで死ぬ」は本当に幸せか?大多数の日本人にとって悲惨な結末を招く理由=鈴木傾城

ほとんどの人は「死んだときにカネが余っていたらもったいない」と考えなければならないほど余計なカネを持てない。資産をゼロにして死ぬことは考えなくてもいい。むしろ「途中でカネが足りなくなるかもしれない」ことをリアルに心配すべきなのだ。(『 鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編 鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編 』)

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プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。

貯金がなから今すぐ死ねと言われているも同然

日本には1億円以上の資産を持つ富裕層は世帯の3%弱くらいしかいないのに、そういう日本で『ゼロで死ね(DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール)』みたいな本が共感されるのが奇妙な話だと私に話した人がいた。

DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール』は、たしかに示唆に富んだ内容であると私自身は思う。年齢によって体験できることが異なるので、若い頃は体験することに金を使い、「よぶんな金は生きているうちに使い切れ」というのが本書の趣旨だ。

莫大な資産を持っている富裕層にとって、これは有意義なアドバイスだろう。いくら大金を持っていても馬馬車のように仕事に追われ、やりたいことは何一つしないで死ぬよりも、どこかで「使う」側に回って人生を謳歌してゼロで死ねたらバランス感覚として非常に素晴らしい人生となる。

しかし、人類の大多数は金銭的に余裕がない。

日本でも富裕層なんかごく一部であり、大半は貯金3,000万円以下のマス層である。若い頃から低賃金で生活に四苦八苦しているし、中高年になってもやはり生活に追われて四苦八苦しているし、高齢になったらなったで少ない年金で四苦八苦している。

すでにマス層でも、平均年収が186万円のアンダークラス層は約1,200万人もの規模で増えている。彼らは「今がゼロ」だ。「ゼロで死ね」と言われても、人生を通して「貯金ゼロ」か「ほぼゼロ」なのだ。それで、私の知り合いはこのように言った。

「ゼロで死ねとか言ってるけど、俺なんて貯金がないから今すぐ死ねと言われているも同然なんだよ」

貧困層に「ゼロで死ね」は机上の空論である

たしかに、貯金がない人からしたら「ゼロで死ね」という主張は、非常に残酷な主張であると言える。「ゼロで死ね」はしょせん金持ちの発想であり、金持ちへのアドバイスだったのだ。

65歳以上の日本人の貯蓄額の中央値は1,677万円だが、月10万円ずつ使っていると、80歳までにはゼロになる。そこで都合よく死ねればいいが、現代は「人生100年時代」である。「ゼロで死ね」を気取っていると「ゼロになったがまだ生き残っていた」ということになる。

老いたら金を使わなくなるとも言うが、そうとも言い切れない。病院代・薬代で金がかかるし、老人ホームもタダではない。快適を望めば望むほど老人ホームもカネがかかる。自宅を保有している人も、自分と共に自宅も老朽化していくわけで、家の修繕にはだいたい数百万がかかる。

老いても想定外のカネがかかってくる。そうなると、それなりにあると思っていたカネはあっという間に消えてしまうだろう。

現実は、「ゼロで死ね」と気取っている場合ではないのである。

Next: ゼロに調節する余裕などない。一心不乱にカネを貯めておくべきだ

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