安い賃金で働く外国人が日本人よりも選ばれる
滞納者(奨学金返還を3か月以上延滞している者)は15万人超えとなっている。これは決して少ない数ではない。一流大学でもない限り、大学卒という学歴を得るための借金は非常にコストが悪いものとなっている。
それならば、大卒という学歴の他に、何らかの特別な資格や技能や知識を身につければ、世の中を渡っていけるようになるのだろうか。かつてはそれも意味があったのかもしれないが、今ではちょっとした資格や技能があっても生活を安定させられる保証はない。
経営者が一般の労働者に求めているのは、常に「安い労働力」「合理化と効率化」だからである。もちろん資格・技能・専門知識があればあるに越したことはないのだが、あった上で「安く働いてくれる」人がいれば、そちらを採用する。
だから、安い賃金で働く外国人が日本人よりも選ばれる。
優先的に雇われる可能性はあるが高賃金になるとは限らない
多文化共生が批判されながらも断固として進められるのは、安い賃金で働いてくれる外国人がたくさんいればいるほどコストが下げられるからである。
多文化共生が強制されるのは、企業にとって好都合だからなのだ。競争原理の結果である。企業は利益を生み出すために、ひたすらコスト削減に走るのだが、コストの大半は人件費なのだから、人件費を削減するのは「正義」だ。
浮いたコストは商品の価格を下げて商品競争力を高めることにも使えるし、配当を増やして株主を引きつける資金にも使えるし、経営者の高級車購入にも使える。
いかに従業員の賃金を引き下げるか、いかに従業員を雇わないかが経営者の仕事になったのだ。だから、非正規雇用を増やして社員を減らしたり、賃金を極限まで抑えたりする動きが当たり前になる。
そう考えると、そんな時代の中で従業員がいくら資格・技能・専門知識を高めても意味がないことに気付くはずだ。まったくの無意味だとは言わないが、それをうまくやったところでたかが知れている。
経営者が求めるのは「誰よりも安く長時間働きます」と言ってくれる人間であって、「資格があるので高い賃金を下さい」という人間ではない。大学の肩書きがあって、資格があったら優先的に雇われる可能性はあるが高賃金になるとは限らない。
それが今の時代のリアルである。「大学卒=高賃金」ではなくなったのだ。
「大学を卒業したら良い企業に入れて高賃金も約束されて一生が安泰」ならば、借金を抱えてもリスクは吸収されるのかもしれない。しかし、大学を卒業しても使い捨ての労働者で、景気が悪化したらリストラされたりする社会だ。そんな中で大きな借金を抱えるというのは、非常に恐ろしいことでもある。
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