どうやってメイソウは本家を超えた?
メイソウは、創業者の葉国富氏が日本旅行をした時にMUJIの店舗を見て、衝撃を受けて中国で立ち上げた小売チェーンです。
葉国富氏は、MUJIのどこに感動したのでしょうか。それは、MUJIが今までになかった小売店だったからです。MUJIにはご存知のとおり、文房具から衣類・家電・食品・寝具までそろっています。今となっては不思議でもなんでもありませんが、1983年に東京・青山という感度の高い地域に1号店が登場した時は、多くの人が衝撃を受けたのです。それは、若者の簡素で合理的なライフスタイルという観点で多様な商品が用意されたセレクトショップになっていたからです。
それまで、日本でも中国でも、小売店というのは業界にぶら下がっているのがあたりまえでした。卸会社から仕入れをして、店頭で売るというのが小売店だったので、衣類の卸とつきあいのある店主は衣類店を開きますし、家電製品の卸とおつきあいのある店主は家電店を開きます。小売店は業界の軸で編集されているのが普通でした。例外は百貨店ぐらいしかありません。
しかし、MUJIは、簡素と合理性を好む若者という消費者の軸で編集された小売チェーンだったのです。MUJIのコンセプトに共感する若者にとっては、MUJIに行けば、欲しいものがすべてそろう店になっていました。葉国富氏はここに衝撃を受けました。余談ですが、小米(シャオミ)の創業者・雷軍氏もMUJIに衝撃を受けたひとりで、現在、小米が販売している家電はどれもMUJIのテイストが感じられます。
ところが、非常に面白いのが、同じコンセプトでスタートしながら、MUJIとメイソウでは手法が大きく異なることです。今年の春には「ちいかわ」グッズを発売し、購入者が殺到し、大きなヒットともなりました。これだけでも、MUJIとは異なる路線を進んでいることがわかります。
MUJIは、もちろん販売されている商品は時代とともに変わっていますが、コンセプトはびっくりするほど変わっていません。創業の頃からミニマリズムが軸になっていて、無駄を排除したシンプルな製品を提供し続けています。無駄を排除して、商品の本質だけを消費者に提供するというのがMUJIの真骨頂です。
私も若い頃にMUJIのファンとなり、中年となった今でもMUJIで買い物をします。感覚としては「あの頃と変わらない」安心さがあります。これだけ時代の変化が激しい中で、MUJIはブランドコンセプトをよく守り抜いていると思います。
一方、メイソウは同じコンセプトでスタートしながら、MUJIとは大きく異なる手法で成長をしています。MUJIが守りのブランド戦略であるなら、メイソウは攻めのブランド戦略です。
この違いは、MUJIとメイソウの話だけではなく、日本の企業と中国の企業との違いにも通じるものがあります。今回は、メイソウのこれまでの成長の糧となったできごとをご紹介し、そこから中国企業の発想が日本企業と異なっていることを感じ取っていただけたらと思います。
今回は、メイソウがなぜここまで成長できたのかについてご紹介します。
「ついで買い」を誘う戦略
メイソウは2013年に広州市で創業されました。そのきっかけは、先ほど触れたように、創業者の葉国富氏がMUJIの「消費者の視点で編集された小売店」というビジネスモデルに衝撃を受けたことです。
そこで、浙江省義烏市の日用品市場などから商品を仕入れ、若い世代に向けた小売店を始めます。そのため、実態は当時の中国にもたくさんあった10元均一ショップとほぼ同じでした。違いと言えば、商品のセレクトがよく、若者向けになっていただけです。
メイソウはすぐにユニクロやMUJIのオープンレイアウトを取り入れます。近年の小売業はどこでもオープンレイアウトを導入していますが、この頃の中国ではクローズドレイアウトの方が一般的でした。