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2003年~2007年のドル円相場を振り返ることで見えてくる今後の展開

2000年のITバブル崩壊後、「日本の様なデフレになったらどうしよう!!!」と、FF金利(アメリカの政策金利)をバカスカ引き下げていったグリーンスパン元FRB議長。そのグリーンスパンも、2003年半ばあたりから、「遅すぎる利上げ着手」の機会をうかがうようになります。2004年6月には、遅すぎる利上げ着手。そして、アメリカでは、2007年に向かって「大型のサブプライムバブル」が形成されてゆきました。

ますます「2004年6月のグリーンスパンの利上げ着手」の頃に酷似してきた「今現在の日米の為替市場」。今現在のドル円をめぐる為替環境も、2003年~2004年頃のグリーンスパン時代に酷似しているのです!

以下、「ITバブル崩壊後」から「大型サブプライムバブル形成」の「2003年~2007年」の間、ドル円の為替市場では何が起きていたのか、眺めてゆきましょう!

結論から最初にお伝えすると、この「2003年~2007年の間」、ドル円相場は1ドル100円から120円の間を行ったり来たりしていたのです!!

詳しく振り返ると、当時のドル円は、2002年6月から2003年6月までのおよそ1年間は、「1ドル120円前後の円安水準」で安定的に推移していました。「安定していた」といえば聞こえは良いですが、投機筋から見ると、ドル円相場は、ほとんど動かず、「じれったいほど硬直していた」のでした!

ところが、2003年6月頃から、ドル円の為替市場では、変化が始まります。一転して、「ドル安円高」傾向が始まりました!

すなわち、「2004年のグリーンスパンの利上げ着手」の前後は、「2003年6月のおよそ1ドル120円の円安からスタートして、2004年12月のおよそ1ドル100円の円高」まで、「ドル安円高」傾向が巻き起こりました!

2003年4月当時、日本では、福井元日銀総裁のもとで量的金融緩和がわずかながらもいくばくか拡大されていました。2004年に入ると、アメリカではグリーンスパン元FRB議長が利上げ着手を探っていました。それでも、当時の為替市場は、「FRBの利上げ着手→アメリカの一時的な景気の足踏み→ドル安円高」を連想して、「利上げ着手の1年前の2003年6月」から、「ドル安円高」が始まっていたのでした!

為替市場が「アメリカ経済はFRBの利上げに耐えるだけの十分な強さがある!」と解釈できたのは、なんとなんと、利上げ着手からおよそ半年経過した後だったのです!

為替市場が再び「ドル高円安」に振れ始めたのは、2004年12月から!2004年12月から、為替市場は、「アメリカ経済の強さ」に自信を回復。今度は一転して、「アメリカ経済は強い→ドル高円安」を連想、1ドル100円から1ドル120円へ向かって、再び「ドル高円安」傾向を開始し始めます!

かように、(意外と知られていないことですが、それとも忘れてしまっている人が多いのか???)「2003年の大型のサブプライムバブルが形成され始めて、そのサブプライムバブルが崩壊し始める直前の2007年までの間」のドル円相場は、だいたいは、1ドル100円から120円に間を行ったり来たりしていたのです!

一本調子で円安が進行していたわけではないのです!

藤井まり子の資産形成プレミアム・レポート』4月28日号より一部抜粋

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