たとえば同僚に良いことがあったとき、普通の人なら「すごい」「おめでとう」「いいなあ~」とお祝いの言葉をかけるものです。でも彼らは、そんな時すら、自分の話しかできません。(『午堂登紀雄のフリー・キャピタリスト入門』午堂登紀雄)
※本記事は有料メルマガ『午堂登紀雄のフリー・キャピタリスト入門』2017年9月18日号を一部抜粋したものです。興味を持たれた方は、ぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。
プロフィール:午堂登紀雄(ごどう ときお)
米国公認会計士(CPA)。1971年生まれ、岡山県出身。中央大学経済学部 国際経済学科卒。株式会社エディビジョン代表取締役。一般社団法人 事業創造支援機構代表理事。
「嫌われたくない」その孤独力の低さが、彼らの人生を追い詰める
本当の自由(フリー)は、本人の感じ方次第
心理学や精神医学の文献をたくさん読み、孤独に対して考察を続けています。なぜかというと、自由(フリー)というのは、本人が自由だと感じる必要があるからです。
はたから見て自由そうでも、本人は窮屈かもしれない。はたからは不自由そうでも、本人は自由でハッピーかもしれない。
そして孤独を恐れる人は、いろんな問題を内在させ、不自由感を強めてしまいます。
孤独を「こじらせる」ことの危うさ
人が孤独を感じるとき、物理的な孤独というよりも、自分を理解してくれる人がいないときに起こります。自分だけが違う考えを持っていて、周囲はあきれているような感じ、自分を無視しているような感じでしょうか。
しかし孤独を恐れると、本当の自分を出せなくなり、人間関係に踏み込まない、異性の懐に飛び込めない、ということになりやすい。
同時に、孤独はみじめという自分の中の思い込みが、自分を追い詰めています。「引きこもりは人間失格」などという世間の価値判断基準を自分の中に取り込み、その基準で自分を評価している。だから自分は価値がないと、自分を責めるしかない。自分自身の価値判断基準で生きていない。
それは、自己否定や被害者意識となって蓄積されていきます。
たとえば「自分は傷ついた」という人間ほど、かえって他人の痛みや苦しみに鈍感になっているところがあります。なぜなら、自分だけが世間から虐げられていると、自分の殻に閉じこもり、自分の感情しか見えていないからです。自分の感情だけが大事で、周囲との関係改善という発想がない。
あるいはその被害者意識が強いために、相手の発言や態度の意味をネガティブに歪めて解釈し、それが自分に向けられていると思い込んでしまいがちです。
「空気が読めない人」の共通点
また、彼らの多くが「空気が読めない人」と言われるのも、自分が何を言おうか、何を言えばいいかばかりに集中し、自分のことしか見えていないからです。そのため会話に集中できず、話題とは異なる頓珍漢な発言をするわけです。
たとえば同僚がパリに転勤になったという話で盛り上がっているとき、周囲は「すごい」「おめでとう」「いいなあ~」というお祝いの言葉をかけるものです。
しかし彼らは「へえ、私パリの3つ星レストランに行ったことある、それでねそれでね…」などと、自分が会話の中心として注目を集めようとします。だから自分が自分がという発言になるのです。
また、「あの人、なんかずれてるよね」と言われるのも、こういう人に特有の症状です。
彼らは「これ言ってもいいかな?」「これ言ったらウケるかな?」「これ言ったらバカだと思われないかな?」などと自分にいったん問いかけるので、その時間が、リアルな会話でワンテンポのズレを生むのです。