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ユーフォリアの中の醒めた目、株価暴落を見通した人たち 平成バブル崩壊の真相(後編) – 山崎和邦 わが追憶の投機家たち

嘘八百がまかり通ったバブル前後のメディア報道を例証する

平成バブル前後のメディア報道を少し例証しよう。

当時、当代一級のエコノミストの集まりだった経済企画庁の中にも変な者がいて、当時の内閣調整局長の吉冨勝氏は(経企庁自ら出した「白書」の中で前述のように警告を発しながらも)、92年5月の『週刊東洋経済』誌で「資産デフレは実体経済に響かない」と自らの無知蒙昧をさらけ出している。

景気動向指数が明確に下降しているときに「日本経済のレベルは高い」と主張し、「レベルか方向か」というレトリックで景気理論を混迷に誤導した。

次に大蔵省だ。悲観的な景気判断が財政出動を必要とすることを、本能的に彼らは嫌う。「景気後退」という言葉を許さず「調整」と言わせた。

国土庁もバブルに油を注いだ。1985(昭和60)年、つまりバブル開始の2合目で「首都改造計画」とを出して、こう説いた。

「東京都区部に於いてだけでも昭和75年までに5千ヘクタール(山崎注:超高層ビル250棟分に匹敵する)の床面積の需要が発生しると予告される」

これが霞が関ビル250棟分と意訳されて、このアナウンスメント効果により嵐のようなオフィスビルラッシュが始まった。「山手線の内側を日本のマンハッタンにしよう」と時の中曽根総理は呼びかけた。

ユーフォリア(陶酔的熱病)というものは、かかった当初は心地ちがよい。そして自覚症状なく病魔に侵されて一億総バカ化するのだ。

鈴木淑夫、日銀理事から野村総研常務理事になった人物、この男は1991(平成3)年11月、景気動向指数が明確に下降に入った頃、日経新聞に「不況感なき景気後退」という一文を載せた。さらに『日本経済 日は、まだ高い』という本を出して物笑いの種になった。

日は高くとも(レベルの問題でなく)方向が下向きなら注意すべきなのだ。吉冨勝と同様に方向とレベルを混同している。このタイプは株式投資をすると必ず損をするタイプだ。

一橋教授だった野口悠紀雄も、1992(平成4)年6月の『週刊東洋経済』誌で「バブル崩壊は実体経済と無関係だ」と述べている。これまた「失われた20年」を読みそこなったケースであった。

Next: 自分を安全地帯に置くには、まず「バブルとは何か」を学べ

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