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「涙の社長会見」はいつも茶番。吉本興業と山一證券がダブって見える人続出のワケ=高梨彰

吉本興業社長の「涙の会見」がツッコミどころ満載で話題です。そんな中でツイートのランクに「山一証券」の文字。「社員は悪くありませんから」と涙ながらに述べた会見と重ねたコメントが多いようです。(『高梨彰『しん・古今東西』高梨彰)

※本記事は有料メルマガ『高梨彰『しん・古今東西』』2019年7月23日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め今月分すべて無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール:高梨彰(たかなし あきら)
日本証券アナリスト協会検定会員。埼玉県立浦和高校・慶応義塾大学経済学部卒業。証券・銀行にて、米国債をはじめ債券・為替トレーディングに従事。投資顧問会社では、ファンドマネージャーとして外債を中心に年金・投信運用を担当。現在は大手銀行グループにて、チーフストラテジスト、ALMにおける経済・金融市場見通し並びに運用戦略立案を担当。講演・セミナー講師多数。

当時、山一證券の若手社員だった著者は何を感じた?悲しい共通点

よしもと社長「涙の会見」にツッコミ殺到

本日は、ちょっとセンチに…。「吉本興業社長、涙の会見」、ツッコミどころ満載のせいで大賑わいです。

そんな中でツイートのランクに「山一証券」の文字。山一證券が自主廃業を表明した1997年11月、当時の野澤社長が「社員は悪くありませんから」と涙ながらに述べた会見と重ねたコメントが多いようです。

ネットでは「野澤さんは社員をかばったのに」「就職あっせんまで野澤さんは頭を下げて」など、同じ涙の会見でも大違いといった様相。確かに野澤さんは実直な方だったようです。

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当時、山一の若手社員だった私の複雑な気持ち

ただ、当時、山一の社員だった当事者としては複雑です。私は入社3年目、外国債券のディーラー(自己売買・対顧客売買)をしていました。人手が足りなかったので、小口から大口まで、売買はなんでもやっていました。

同時に一番若手でもありました。当時は顧客への損失補填と、いわゆる「飛ばし」に関する調査がMOF(大蔵省=今の財務省)から入っていて、その資料作りにも駆り出される始末。

と言っても、具体的には会社の倉庫に入って、外債を使って行われた売買の伝票を探しデータを整理する、という正に「若手の作業」を担っただけです。

だからこそ、どの企業と付き合いがあって、どういう補填をしたのか、またその後始末としてどんな「飛ばし」をし、1997年11月にどんな最終的な顛末を迎えたのか、その辺の実務に関しては妙に詳しくなりました。

合わせて、野澤さんが社長に就任した1997年の夏には、既に山一との取引が敬遠され始めていた時期でもあり、ディールリングルームの人々は山一のヤバさを実感していました。

だからこそ「涙の社長」を礼賛することに、常に複雑な感情を抱きます。社長に就任する前だって重役だったのですから、「社長になるまで何も知らなかった」では済みません。しかも、肩書もない若手社員でさえ知っていたことです。

野澤さんが素敵な方であるだけに、余計に複雑な感情が湧いてきます。

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