子どもの教育に理解のある親とない親では、必然的に子どもの学力の差になって現れる。低所得層の子どもが低所得になりやすいのは、社会の最底辺では、そこから抜け出すための環境が揃っていないからである。1つ2つの要因ではなく、日常のすべての環境が勉強から遠ざける環境になっている。(『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』)
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プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、主にアメリカ株式を中心に投資全般を扱ったブログ「フルインベスト」を運営している。
社会が貧困者を拡大させている以上、子どもの貧困も増える
コロナ禍で非正規雇用者の両親が減給や失業や一時休業に見舞われた結果、じわじわと生活が困窮し、子どももまた一緒に貧困に苦しむようになっている。
日本の底辺では以前から貧困が拡大しており、子どもにも親の経済的な問題による就学困難が定着するようになっていたのだが、コロナ禍はそれを加速させている可能性がある。今後の統計に注意したい。
経済的理由により就学困難と認められた「要保護及び準要保護児童生徒」は2008年のリーマンショック以後、どんどん増えて東日本大震災のあった2011年に約157万人のピークを付けた。
以後は減少の傾向にあって、2019年あたりは約130万人レベルになったのだが、コロナ禍の中では再び就学援助率は増えていくのではないかと予測されている。
ちなみに、東日本大震災以後は就学援助率が下がっていった傾向はあるのだが、それは貧困問題が解決しつつあるからではない。貧困の子どもがゆっくりと減ったのは、「少子化の影響が出てきた」からだと文部科学省自身は推測している。
経済格差が定着し、富裕層と貧困層が分離して貧困層の数が増えているのに、子どもの貧困が自然に解決するわけがない。社会が貧困者を拡大させている以上、子どもの貧困も増えることになるのは必然だ。
就学援助を受ける子どもたちは、親が生活保護を受けていたり、生活保護世帯に近い経済状況にあると見なされた子どもが受けるものである。
服が買えない、教科書が買えない、ランドセルが買えない、制服が買えない、文房具が買えない、給食代が出せない子どもたちが、就学援助でかろうじて救われている。
親の経済格差が子の教育格差につながっていく
しかし、そうやって就学援助で環境を与えられても、それだけで低所得層の子どもが学校で学力を発揮できるようになるわけではない。
最底辺の子どもたちは食事に事欠くほどシビアだ。その親は子どもに食べさせるだけでも精一杯であり、とても教育のための費用など捻出できない。それは貧困層の子どもたちが、塾に通うことができないことを意味している。
日本はコリア国際学園の理事をするような寺脇研のような人間が、日本の子どもたちの学力を徹底的に低下させる「ゆとり教育」を推進していた。
日本の子どもたちの学力を意図的に低下させようとして教育は劣化させられているのを察知した金のある親たちは、子どもを塾に通わせてそれに対抗するようになった。
塾は無料ではない。指導方法によって年間20万円から100万円まで、場合によってはそれ以上かかるのだが、こうした金額は貧困層でなくても重いものだ。
そうは言っても学校の勉強だけでは、子どもたちの学力低下が深刻になるので、塾通いをやめさせられない。良い大学を出ないと一流企業に入るのが難しいのも事実なので、親も必死になって子どもの教育をサポートする。
ところが、貧困家庭の子どもたちは最初から弾き飛ばされている。親が文房具すらも買って上げられないような貧困の中では、塾に行くどころの話ではない。塾どころか学校に行くことですらも精一杯なのだ。
その差はじわじわと学力の差となってあらわれていく。時間をかけて良い教育を受けた子どもたちは、何も受けていない子どもたちを凌駕するのは当然だ。
つまり、親の資力の差で、子どもたちの学力までもが決まっていく。そして、社会に出る前のスタート時点ですでに勝負が付いてしまうのである。
「親の経済格差が子の教育格差につながっていく」のは、否定できない現実である。子どもにやる気があれば貧困であっても向上できるはずだと言うのはあまりにも無責任すぎる。